ご意見・ご感想・ご質問・苦情・その他萬、こちらにお願い申し上げます。
「気分だけ、な」
「それは、違う」
「英雄物語とは、マチョニズムであり、魔女ニズムである」
昼頃、ブレカナのシナリオをやる。キャラがいなかったので、新規キャラで参戦した。
いや、はまった、はまった。キャラがすげぇはまった。
前々からやりたかったルナ=アングルス=コロナの少女。特殊因果律・男たちの旗を持ち、北狄討伐を成し遂げるために、国土を駆けめぐり、金策と教会の免許取り付けのために奔走する。ことあるごとに宮廷や教会に入り込み、各地の有力貴族、司祭を訪ね、およそ実現不可能な北狄討伐案を唱えるため、付いたあだ名が、“気狂い”ジョアンナ。要は、ジャンヌ・ダルクだ。神の御言葉と祖父の亡霊の導きを受け、北狄討伐を決意、傭兵騎士団を編成し、諸国を巡って力を蓄えている。傭兵騎士団と言っても、自身は騎士叙勲を受けているわけではないので、実際は野盗の集団と大して替わりがなかったりするあたりが、実に素敵だ。アダマスが入っていないのも、そこら辺が理由。しかもこれ、世界観的にも、史実的にも間違っていなかったりする。実際の中世では、自称騎士というのも多かったし、『LAND of The GUILTY』を読む限り、実際の中世を前提としているように思われるからだ。神の御言葉を聞いたと戯言を宣う、気が触れた少女なので、戦い方もエゲツがない。毒だろうが火だろうが人質だろうが、使えるものは容赦なく使い、奇襲夜襲、弓矢の一斉掃射に火攻めと、なんでもござれ。真っ当な騎士であれば眉をひそめてしまうような戦い方を得意とする(特技に<夜の兄弟>があるし)。史実のジャンヌ・ダルクは愚直だったらしいが、ジョアンナは、そこらへん容赦がないので、さらに手に負えなかったりする。
「そこ、ハァハァするの禁止」
しかも、このキャラなにが凄いって、こういう手に負えない電波な設定のくせして、わりと広く導入可能だったりすることだ。舞台に領主が登場するならば、金策のための訪れたことにすればいいし、宗教ネタであれば巡礼に訪れているか、免許取り付けに訪れているかとすればいい。自身もコロナなため、戦争物や宮廷陰謀物にも対応可能だ。戦場に赴く途中に村に立ち寄ったことにすれば、普通のシナリオでの導入も抵抗なくできるだろう。
「そこがタチが悪いところだと言われていたね(笑)」
誉め言葉として受け取っておこう。かなりお気に入りなので、また使いたい。
「で、シナリオは?」
ツボつきまくり。
転生もので、魔神討伐に雇われて赴いた先で前世の記憶を取り戻す、ってシナリオ。自分の前世は、王に仕える神官戦士の長という立ち位置だった。神と言ってもその正体は魔神であり、それを封印することを職務とする神官の物語だ。かなり好きにやらせてもらった。
GM:王と一緒に神殿を足早に歩いているシーンから。
王:「それで、封印の状況はどうなっている?」
ジョアンナ:(祀っているのは魔神で、なにやらせっぱ詰まっている状態…とすると、)「生け贄の数が、足りませぬ」
GM:グッジョブ! 素晴らしい! 「しかし、我が国土は狭く、生け贄の家畜を育てるに充分な土地がない。そこはなんとか、お主たち神官の信仰の力でなんとか出来ぬのか?」とか言いながら、神殿の最深部にたどり着く。物々しい扉を押し開ける。そこには、金剛石で出来た見事な軍馬の彫像がある。「こんなに早く…(絶句)」。魔神が封印されていると言っても、障気が漏れ出て、触れる物を金剛石とかしてしまうのですね。それで、その蓋として家畜をここに捧げているのです。
ジョアンナ:「この物を運び出せ! 次の贄を用意しろ!」背後に控える配下に命じます。
ジョアンナ:(王女を巡って決闘をし、勝利を収めつつも王女に振られたということを前提としつつ)セッションを引っかき回しますけど、宜しいですか? 「王女を巡って決闘したそうだな。そして、勝利しつつも、王女はお前を選ばなかった、そうだな? その上、王は、お前ではなく奴を王女の花婿として選んだ、そうだな?」
相手のPC:む、侮辱だ。「貴様! 何が言いたい!」剣を突き付けよう。
ジョアンナ:「(拍子抜けしてしまうほど、晴れやかな笑顔で)良かったじゃないか。(そしてうつむき、表情を見せず)………私は、安心したぞ」と言って、足早に立ち去ろう(笑)。
一同:グッジョブ! 素晴らしい!
王:(北狄が大群を率いて近づいており、都が蹂躙されるのも時間の問題であることを前提としつつ)「儂は、決意した。儀式を執り行う」
ジョアンナ:(魔神を復活させる気か…ならば、べったべたなリアクションで返そう)「王よ! 我らが民の使命を忘れたか! 我らが何故、このような(不便な)地に住み着いたか、そのいわれを! すべては、魔神を封印するため! 王よ、その禁忌を破るというのですか!」
GM:グッジョブ! 素晴らしい! 「だが! 私は民を見捨てるわけにはいかぬ! …もう、決めたことだ」と、王女とその弟(PC)を呼び出す。「お前たちに話しておくことがある…」
ジョアンナ:神官としては、ここは譲れないなぁ。衛視たちに引きずり出される勢いで(笑)、「(剣を抜き放ち)王よ、乱心召されたか! 私は認めぬぞ!」
騎士のPC:そこに登場し、ジョアンナを捕らえましょう(笑)。「そこまでだ。王を害することは許さぬ」
ジョアンナ:「(PCの名を叫びつつ)認めぬ! 認めぬぞ! お前たち、王の乱心を何故止めぬ!」と叫びながら、衛視たちに羽交い締めにされ、引きずられましょう(笑)。退・場・だ。
一同:グッジョブ! 素晴らしい!
GM:…とまあ、王の魂がことの顛末を説明するわけですが。
ジョアンナ:「(うつむき、暗い表情で、呪詛を唱えるように)王よ、今更、民を復活させてどうしようというのです。真教があまねく布教されたこの地には、異教たる我らが民を受け入れる余地など、もはやありませぬ」
王の魂:「………」かなり堪えているようだね。
相手のPC:(魔神を倒したのち、ジョアンナが前世で秘めた想いを持っていた相手のPCとのシーン)「奴と、一緒に、戦いたかった。奴の指揮と、俺の剣の腕があれば、北狄など…しかしそれももう、空しいことだ。俺は、旅に出るぜ。あばよ、運があれば、またどこかで」
ジョアンナ:「待て! (少し躊躇い、決意して)私の、騎士団に来ないか? 私の指揮と、お前の剣の腕があれば、北狄など、何者ぞ。(一気に捲し立てるように)私では、奴の代わりになれぬか!?」
相手のPC:そうきたかぁ「…そうだな、暫く厄介になるか」
ジョアンナ:では、べったべたな締めで。配下がふたりを見つけて声をかけてくる。「お頭! 準備整いました! そろそろ、こんな辛気くさいところ、お暇しましょうぜ!」「馬鹿者! 団長と呼べと言ったろうが!」
相手のPC:っふ。武器を持ち直し、「じゃ、いこうか、団長さん」
ジョアンナ:グッジョブ! 素晴らしい!
これで、午後7:00。本来ならば、明日の仕事のために、ここら辺で立ち去るべきはずなのだが、ぎらついた目でまだ遊ぶと宣う自分。
「莫迦じゃないの?」
莫迦ですが、何か?
緋SSSともっぱら評判の(笑)イヌSSSを遊ぶ。一本目、「DOG DAYS」、犬の日、すなわち暑い日々という意味だが、「RED DAYS(緋い日)」というのが真のタイトルだろうというのが、やはりもっぱらの評判だ(笑)。
新規キャスト、“レディ・インヴィジブル”シーカー(フェイト◎、ハイランダー●、ニューロ)で遊ぶ。全身義体インヴィジブルドールをインストールした、ストリートの探偵だ。気がつくと全身義体のボディにインストールしており、その前の記憶がいっさいない。自分の記憶を取り戻すため探偵業を営む、ハードボイルドなキャラだ。
「緋のくせに生意気だ!(笑)」
と、唸るほどシナリオは面白かった。PLのみなさん、ノリノリでプレイしていた。なんというか、PLを乗せる、やる気にさせるギミックがうまい具合に搭載されているのよね。一本道シナリオなんだけども、そこら辺の、やる気にさせるギミック故に、一本道の強引さはあまり気にならないのだ。
今回のセッションでは、絵に描いたようなハリウッド映画に出てくる中年バツ一の警官が見れたので大満足。上司(眼鏡の才女)から捜査中止を命じられた(≪制裁≫)のに対し、上司に啖呵を切った(≪制裁≫「強制退場」)にもかかわらず、≪制裁≫ダメージを自力ではうち消せず、トーキー(レッガー持ち)にブザマに泣きつくエンディングなど、実に傑作だった。カッコイー! と、参加者全員、思わず唸ってしまった(謎)。
「じゃあ、俺は世界征服のためにマリエラに乗るぜ」
とか、下品なことをぬかし始める自分。さらに、シャードの形状に「その他」、部位に「乗り物」とあるのを見て、
「じゃあ、俺のシャードの形状はマリエラで、俺はマリエラに乗るぜ」
とか、更に下品なことを抜かす自分。
「そのマリエラはいっさい喋らないし、反応しないから」
とか言われて、しょんぼりする。
「よわっ!」
そのあとぼちぼちメンツが集まったため、私がRLをする。新作の「パルプ・アクション」だ。借金1プラチナムを払うために、1ゴールドを払ったのちに、≪不可知≫で払った1ゴールドを盗み再びその1ゴールドを差しだし、合計1プラチナムを支払ったことにしたり、子分を黒社会から抜け出させることを飲ませるために設けた麻雀勝負でイカサマをしてそれを≪不可蝕≫で乗り切ったりと、三合会導入のキャストが良い味を出していた。
「夕食後、夜の部」
今度は、ヴァンパイア・ザ・マスカレード。
個人的には、あれは、キリスト教徒、すなわち、原罪に対する恐怖、ヴァンパイアとして血を吸う背徳感がないとできないゲームだと思っている。
それはともかく、とりあえずキャラを作って遊んでみることにした。
以下、ダイジェストで。
私の名前は、アルバート・ブラウン。ヴェントルーの第13世代のヴァンパイアだ。35歳、CIAの工作員のひとりだ。妻の名前はパトリシア。息子の名前はマクベイン。私の大切な家族だが、ふたりとも、私がバンパイアであることは知らない。幸運なことに、抱擁を受けたときに「命の脈動」という特殊な能力も授かったのか、他のヴァンパイアに比べ、人のふりをすることに長けている。いつもは、シカゴ周辺での諜報活動に従事している。兄弟よ、シカゴ周辺で何か困ったことに巻き込まれたのであれば、私を訪ねてくると良い。今から8年前、私が抱擁を受けた事件も、そんな諜報活動中の出来事だった。当時私は、ヴァンパイアという存在を知らず、ヴァンパイアが関わった事件に深入りしすぎた。気がつけば、私の首は一撃でへし折られ、死の床につこうとしていた。私は、愛する妻と息子の行く末を憂い、なにもできない我が身を呪いつつ、意識を失おうとしていた。薄れ行く意識の中、私を死に追いやった男は、何か一言二言訊ねてきた。思い出せないが、そのとき私は何か答えたらしい。男は、満足そうに頷いた。気がつけば、私は野原に寝ていた。折れていたはずの首をさするとそのような形跡をまったく見えず、健康体そのものだった。男は、私の目の前に立っていた。そして、一言二言、何か言った。その言葉も衝撃が強すぎ、いまとなっては思い出せない。ただ納得いったのは、呼吸をしておらず、私は確かに死んでいるという事実だけであった。
そして現在、私は館に車を走らせていた。この一帯を支配するプリンスが10年に一度開く新年会に、招かれたからだ。招かれたと言っても、我々13世代に拒否権があるとも思えないが。
館の晩餐会は、それはそれは見事なものだった。一級品の食事と一級品の酒、とびきり新鮮な処女の血と、壁に繋がれた見目麗しき若き男女の贄たち。私は、壁に繋がれた少女の髪を梳き、そのふわふわとした感触を楽しむ。少女は、嫌悪感と共に、三割の恐怖と、六割のこびへつらった表情、そして、一割の法悦とした情感を魅せてくれる。私は、少女のその細やかな感情の変化を楽しんだ。
楽しい新年会は、だが、突如ぶちこわしとなった。乱暴者のブルートーが乗り込んできて、人間の少女を己の花嫁とすること宣言したのだ。恐るべきことに、プリンスに許可なく、だ。プリンスは怒りに奮え、いまにも彼に鉄槌を下そうとする。怖れ多くも、私はプリンスに進言する。掟を破ったことは明白なのに、それをわざわざここで、しかもこのような形で宣言するからには何か裏があるはずだ。その背後関係を調べてからでも遅くはないでしょう。プリンスは、私の言葉を聞き入れ、この場は怒りを収めた。乱暴者は、勝利宣言を高らかに唱え、館を跡にする。
後日、バーで餌が来るのを待っていると、警官が私に話しかけてきた。警官が魅せた写真は、例の乱暴者が花嫁とする紹介した少女にそっくりであった。少女は行方不明で、警官はその専属の調査官だそうだ。更に詳しく聞くと、警官は少女の兄という。私は、少し考えた。しらを切るのは簡単だが、この男は、例の乱暴者の居場所や、その背後を調べるに役立つ駒とならないか。私は、CIAのバッチを見せ、捜査協力を申し込む。もちろん、CIAという立場を理由に、本名を証すことは断った。
更に後日、先の新年会で知り合ったギャンネルの女から、自宅に電話がかかってきた。異端審問官の神父が例の乱暴者の行方を捜しているとのこと。教会のエージェントも、この事件には関わっているようだ。溜息をつきつつも、その報告に感謝し、私は電話を切る。この事件、思ったよりもめんどくさくなりそうだ。私は再び受話器に手を伸ばして、やめる。いま、プリンスに電話をするよりも、この情報をここで握りつぶした方が、後々自分に有利に働くだろう。
「長くなるので、後半は省略。正式にプリンスから乱暴者の処刑を依頼され、ギャンネルの女とトレイアドールの芸術家と共同して事件解決にあたることになる。その後、事件は急転直下、結局力押しで乱暴者の処刑を行う」
力押しとは、ヴェントルー的には不本意な終わり方だったな。まあ、支配の訓えを使って裏にサバトが糸を引いていることを聞き出したので面目は保ったけども。
CIA的には、三ターン狙って、敵を狙撃し、一撃で沈めたので満足だった。それまで、他のキャラが頑張って敵の意志力を削っていたからこそ出来た技だけども(苦笑)。
最近、DVDが安いので買いあさっているのだ。むかし、高学生のころに観て、その、素っ気ないほど淡々とした描写に惚れ込んだ映画だった。
私のN◎VAのシナリオ(個人的には、自作N◎VAシナリオの中では傑作と思っている)、テーマタロットをカブトワリに据えた「ブレイクショット」というシナリオのモトネタのひとつだったりする。もうひとつは『ファントム・オブ・ザ・インフェルノ』だったりするあたり、軟派だが(苦笑)。
で、見返してみると、やっぱり、面白い。計画を練り、淡々と非情にそれを遂行する狙撃手と、国家の威信を懸け、情け容赦なく調査を進める刑事、このふたりの、決して交わることがないやりとりは、見応え充分だった。依頼主から犯人像が割れる下りは、「ブレイクショット」の参考になっている。…が、いま見返してみると、やはり、情報の渡し方など、「ブレイクショット」はご都合主義が目立つ。反省し、もう少し改良してみようかなぁとも思った。
ちなみに、この日記を書くにあたって『ジャッカルの日』のレビューを漁っていたら、『ジャッカル』という映画に行き着く。
………んーあー、見所は、ラストのリチャード・ギアとブルース・ウィリスとの、派手な銃撃戦ですか? 暗殺物で、派手な銃撃戦はお門違いだろうとか思うのよね(苦笑)。
まあ、「ブレイクショット」も、それ(派手な銃撃戦)担当のキャラとして“御用達”ミザリーがいるんだけどもね(苦笑)。おばさん(←ここら辺が実に私らしいと思う)暗殺者だけども(謎)。
「ああ」
私は、唸るように呟いた。
思ったとおりだ。
ブギーポップは、とてもへんてこで複雑で奇抜な物語構造を持っていると、一般的に認識されているようだが、なんのことはない。ごくごく普通の物語を、ただ丹念に、より効率よく情報を伝達するために、少し特殊な演出方法を採用した物語に過ぎないのだ。その物語構造はスリーアクトストラクチャーにしたがった、極めて普通の構造に過ぎない。
『交渉人』
時間が余ったので、DVD観賞。
けっこう面白かった。個人的には、もう少し駆け引きの妙を楽しませてくれる作品を望んだのだけども、まあ、ハリウッド映画だし、仕方がないだろう。主人公のふたりともが既婚者という設定で、とってつけたラブロマンスがない分、ストーリーが全般的に引き締まっていた。
知る人ぞ知る、個人作成アニメーション。
手前味噌になるけども、ただ、ひたすら良い。
最初観たときは、人物イラストがヘタレであれだったけども、背景の書き込みに合わせた丹念な心理描写を観ているうちに、そんなこと気にならなくなる。丹念なアニメーションと、快楽的な声優の声。総合芸術、ここに極まれり! と唸ってしまった一品だった。
まあ、個人的には、おまけの『彼女と彼女の猫』の、“総合芸術としての”ぶちきれっぷりの方が好きなんだけどね。『彼女と彼女の猫』は、小気味良いカット割りと淡々としたナレーションとの相乗効果によるただひたすらの快楽がある、ただそれだけの作品なのだが…五分間の幸福を味わいたい人は、是非観るべきだ。
「感想は?」
残念賞。色々頑張って、良い感じにテーマを収束させたんだけども、テーマとモチーフと演出と、その他諸々が、なんか今ひとつかみ合っていないのよね。
とはいえ、妹萌えのオブラートに包み込んで、人類愛を出汁に使って、壮絶な親子げんか・兄妹げんかを描いた様は、笑わせていただきました。
「笑うのかよっ!」
笑うだろう、あれは。
「それが本音か!」とか、「生きる力を作るために殺す」とか。身も蓋もなかったり、間違っていないけども大間違いだったりするあたり。
まああれだ。妹萌えで、人類を巻き込んだ傍迷惑な親子げんかスキー(←つーか、そういうアニメって、多いよね)な人は、見て損がないアニメだと思う(いい加減)。
「結果は?」
誘拐犯のテロリストたちをぶち殺すってシナリオだったんだけども、演出をとちったりして、どうにもこうにも。即興でシナリオを作ったのがいけなかったのか、そもそもそういうシナリオを私が作っちゃいけないのか…? まあ、つまんない、と言うほどでもなかったみたいなので、再びリベンジを試みてみることにしよう。
「多摩川花火大会」
そのあと、花火を見に行く。身内が場所取りをしていてくれたので、ベストポジションで花火を観る。ビール片手に、枝豆をぱくつきながらの花火は、夏の風流でした。
「花火に照らされた人々の後ろ姿や表情って奇麗だよね」
とか言ったら、マニア呼ばわりされました。
「はい?」
という話を身内でした。
いやね、私ね、いわゆる勧善懲悪もの、悪を懲らしめる正義のヒーローのストーリー、みたいなシナリオを作れないのよ。正確に言えば、作ろうとしても自身が「面白い!」っていう確信がないから、どうしても作る気になれないの。
んで、今日、黒緒氏から、
「火塚先生、特撮もの観て育った?」
と聞かれたのよ。そういえば自分、休日は12時まで寝ていたので(いまもそうだが)、日曜朝の特撮はまともに見たことがなかったりする。その上、親の方針で、少年漫画とかほとんど見ていないし(中学生に上がるまでに買った漫画は、10冊もないだろう)。
どうやら、自分には、勧善懲悪ものを楽しむ素養がないらしい。
「『火塚先生は「普通のシナリオ」諦めていいです』とか、太鼓判押されたし」
上記とは別件だが、秋葉原でおねぐらメンツとダベっていた。船戸明里という漫画家が如何に凄いかという話とか、ゲームの話とか。
「船戸明里の漫画を読むと、小説一本読んだぐらいの疲労感を覚える」
「いまの小学生は不幸だ。なぜなら、ゲームを購入するにあたって、クソゲーを掴まされるかもしれないというドキドキ感を味わうことが出来ないからだ。ましてやそれが、『たけしの挑戦状』並のクソゲーだった日には。泣きながら意地でクリアして、面白いと風説するという楽しみすら奪われてしまったのだ」
「要するに、たっちゃんはアニメの文脈では見ていない」
「たっちゃんは、自分の思うところの物語の話しかしないのね。ぶっちゃけると、自分語りしかしないわけよ」
…まあ、そうだ。私は、アニメを観ても、アニメ表現として評価せず、表現としてのアニメとしてしか評価しないし、ゲームを観ても、ゲーム表現として評価せず、表現としてのゲームとしてしか評価しようとしない。私にとっては、ジャンルなど関係ない、そこにあるのは、ただひたすら、表現に対する追求だけなのだ。それが有効な表現であれば、ジャンルを声、どんどんと取り入れればいい。もし仮に、ジャンルの表現の本質を際だたせるような表現であれば、敢えて多ジャンルの表現を使うことでジャンルの本質を侵害するような表現をしても良いだろう(ゲームから選択肢をなくすなど)。ウテナに限らず、アニメをアニメとしてだけ評価する、と言うように、そのジャンルにこだわった評価のみをするのは、私は堪えられないのだ。例えばそう、『千と千尋の神隠し』を、映画文脈でしか評価できなかった映画評論家たちのような愚は、犯したくないのだ。
「まあ、そこらへんがたっちゃんの面白いところなんだけども」
一昔前のOVA。ウテナの表現について話をしていたら、おねぐらメンツから観ろと薦められたので購入。
作品としては、演劇的な手法をアニメに取り込んだ実験作。背景の固定、シーンの切り回し、キャラのオーバーアクションや切り替わり、独白の積極的活用(さらには、独白同士の会話)など、まるで小劇場の演劇を観ているかのようなアニメだった。
表現などはわりと面白いので、暇があれば観ることをお薦めできるアニメだろう。
とはいえ、御先祖様がウテナの元型かと言われると、正直疑問だ。確かに、両方とも演劇的手法が使われているが、その使われ方、思想は決定的に異なる。御先祖様が動くアニメを動かさないことを目的にしているのに対して、ウテナは動かないアニメを動かすことを目的にしているのだ。これは、大きい。御先祖様ではその表現は作品を小さくするネガティブな方向にしか働かないのに対して、ウテナのそれは作品を大きくするポジティブな方向へと働いているのだ。
んで、そこから派生して、TRPGにカウンセリングの手法を取り込む話とか、TRPGに物語論の手法を取り込む話とかをした。まあ、昔から割りと良く言われている手法だけども。
「例えば?」
カウンセリングの応用だと、他の参加者(←PL・GM問わず)を自分が望むようにコントロールする方法として、その参加者に選択肢を与えるという方法が考えられる。
「例えばAと考えられる、例えばBと考えられる」
なんて提示すると、大抵の人間は、AかBか、どちらかを選択するものなんだ。
「Cを選択する参加者がいた場合どうなの」
手強いよね。
それが順当な意見であれば、それに従って良いと思うよ。別に、いまここでコントロールする必要はないんだから。
それがおかしな話であれば、結末をはっきり示してやればいい。極論を論じるぐらいが良いと思うな。ただ、ここで重要なのは、冗談めかして言うこと。決して本気になったような口調では言わない。これは、カウンセリングでも重要な技法のひとつとされているらしい。相手に気づかせてはいけないということが重要なんだ。なぜなら、カウンセリングを支える思想とは、あくまで本人の力、本人が自己の力で回復する力を引き出すという思想なんだ。だから、冗談めかして軽く問題を指摘することで、本人の自己解決力を増幅させる必要があるんだ。
『魂狩――ソウルテイカー』
疲れたと言いながらも、Na3氏からの借り物のDVDを観ている私。
アメコミ調のコマ割りと斬新な背景エフェクトに挑戦した意欲作…の成れの果て。
(DVDであることをさっ引いても)画面が暗くて見にくいんだよぉぉぉぉぉ! 挑戦するのは良いんだけども、失敗しちゃ、どうしようもないよなぁと思うのよ。
「誉めるべき点は?」
第三巻は画面が暗くないので、割りと見やすい。
「ぉぃ」
事実なので(苦笑)。
まあ、演出的にみても、第三巻あたりからこなれてきて、割りと良い感じにテーマと演出とが噛み合っていたし。特に、第七話「女人果」は、必見。演出のブチキレっぷりとか、ラブリーなゾンビ看護婦とか、見所満載。
「そして、世界初」
妹にして母であるという、素敵キャラ登場。もう、観てらんないです。
Q:相変わらず富野節がヘタレなくせしてターンAガンダムは何故ああも面白いのか?
A:富野は所詮演出屋で、セルでしか語れないけども、セルであれば語ることができる。動きさえ見せれば語ることができる以上、台詞回しがヘタレであることは問題なくなる。あと、富野は、小さい話をコツコツと積み上げるのが得意であることも見逃せない。
Q:『月姫』のマルチレイヤ表現は評価に値するか?
A:火塚の論評のとおり、バットエンドの見せ方など、優れたマルチレイヤ表現であったことは確かだが、あれは、意図されたマルチレイヤ表現ではないので、評価すべきではない。シナリオライターがなんの考えもなく打ち出したひたすら長いテキストを、(おそらく、)イラストレイターとプログラマーとが共同してなんとかゲームの体裁としてまとめたというのが真実なのだろう。遠野ルートには、イラストレイターがかなりのレベルでアドバイス、関与していたらしいし(『月姫読本』より)。
そのあと、White氏などと別れ、二次会に。なんか、二次会の乾杯の音頭をとらされる。む、もしかして、私おねぐらの中では結構中核メンバー? 組織運営にはノータッチだけども、ナンバー6ぐらい(←増長しすぎ)?
んで、二次会では、隣に座った4月1日の魔術師氏相手に論争をふっかける自分。そのあとの三次会でも、4月1日の魔術師氏とふたりで徹底的に語りあったりした。私の最近のメインテーマである、「インターネット社会における情報弱者の保護」の話とか「情報拡散時代における情報管理・著作権管理の不可能性」の話とか、そういう奴。そういう真面目な話と同時に、「『月姫』が如何に萌えゲーとして完成しているか」とか、そういう話をした(苦笑)。やっぱり、以下ダイジェスト。
Q:インターネット社会(←web社会とは少し違うニュアンスで使用)における情報弱者とはなにか?
A:典型的には、「インターネットに繋げない」など物理的にインターネット社会から切断された人間(老人など)なのだが、一番大きいのは、対抗手段(技術)を持たない、個人情報をさらされた人間である。典型例は、ストーカーに住所などのパーソナルデータを後悔されてしまった女性である。最悪なのは、レイプされた女性が、レイプの写真を、レイプ犯に公開された場合だ。正直、これは最悪で、対抗手段はいまのところほぼ存在しないことになる。金銭による事後的賠償も考えられるが、直接の犯人を捕まえることは難しいし、プロバイダ責任を問うのは、正直法理論的に承服しかねる(プロバイダ責任法は制定されたが、あれは、電話会社に脅迫電話を通信した賠償責任を問うようなものだ)。
Q:では、どうすればいいのか?
A:検証していないので何とも言い難いが、私はふたつ思いついた。ひとつは、情報保険。ひとつは、セキュリティ会社の創設だ。民間レベルで、情報保護を主目的とした企業を作り、情報に関する警備会社のような立ち位置を担わせる。その際、問題となるのは、企業倫理であり、そのための手段として、情報セキュリティの資格を国家資格とし、エリート化させ、倫理意識の向上を図るという方法が考えられる。この発想は、極めて安易なもので、自分で身を守れないのであれば、他人に守ってもらえ。他人に守ってもらうには、お金が必要だろう。っていうか、web社会は所詮、西部劇だし。自分の身は自分で守れ、守れないなら、金で買え、ということになるわけだ。これは、新たな雇用創出策としても有効なのではないかと思ったりする。
もちろん、このような方法で、本当にスキルがある犯罪者を防げるとは思っていない。重要なのは、8割以上の一般市民の生活を守ることであって、それで制度としては充分である、ということだ。2割以下の超人たちは、社会制度をどのように設計しようとも必ず常に抜け道を見つけだし、大暴れすることだろう。そういう超人たちは超人同士、気の済むまでラグナロク(神々の最終戦争)を演じていればいいのだ。なによりも大切なのは、世の中のほとんどを占める一般人の生活をとりあえず保障することなのだ。
Q:情報拡散時代って、なに?
A:つーか、画像掲示板とか観ていると分かると思うんだけども(特にエロ画像)、例えば新作(エロ)ゲームとかが、次の日にはもう、うp(アップ)されている。その上で、「この画像はどの作品の画像ですか?」という質問がなされる。そこではもはや、作品をひとつのパッケージとして提供し続けることは困難となり、あっという間に解体されて細切れで市場に流通することになってしまうのだ(そのそも、インターネットのハイパーリンクは、まさに情報の細切れを促進するそのものだ)。さらには、その画像に文字を重ねたりして改造することも、既に当たり前のようなことになっている。どこで観たか忘れたが、「この画像(実写)、有名だね」「こうして、本人の意思と関係なく永遠に画像が流通し続けるのか」という書き込みがあり、薄ら寒さを覚えたこともあった。現行著作権法に対する遵法精神を吹き飛ばす恐るべき実体だろう。このような時代に、果たして、従来の情報集中・情報独占・情報隠蔽を前提にした情報法の理念や著作権法の理念は通用するか? 考えるまでもなく、通用しない時代になっているのだろう。そこでそれを無理矢理旧来の理念で押さえつけようとすれば、必ずそのゆがみが生じる。web社会全体が恐るべきスピードでアンダーグラウンド化し(いまでは、一般人ですら気軽に違法コピーをしている)、結果、人々の法や制度に対する信頼そのものを害しかねないのだ。そこでは、社会の現実を見つめ、その社会に望ましい、対応した法モデル・制度設計が必要となることだろう。まあ、具体的なモデルは未だ思いついてすらいないんだけどね(苦笑)。
Q:『月姫』が如何に萌えゲーとして完成しているか?
A:舞台設定からして完璧です、笑っちゃうぐらい。そもそも、両親がいません、死んでいます。主人公を家に迎えるために妹が当主特権を行使してわざわざ親戚筋を追い出しています。館にいるのは、ナイチチ妹に、メイドふたり。ひとりは割烹着でひとりはメイド服という念の入りよう。その上、主人公の先輩は眼鏡でしかも暗殺者で主人公を監視(という名目でデート)していますし、初日に出会う美人を思わずうっかり17分割した上で「私を殺した責任、取ってもらうわよ?」とか楽しげに言われるわけでして。もう、見てらんない。
・緋氏が遅刻してくる。開口一番「疲れた」。なにをしにオープン例会に来たっ!
・キャラは、“ママさんハウンド”春子ジョースターに決定
・こんな稲垣、見たことねー!
・細野君郎に絡んでいい気になる春子
・情報の回し方とか、他のキャストとの絡み方とかでしっぱーい
・つーか、あの情報は、報酬点を積んで自力で収拾すべきじゃなかった。他のキャストから買えば良かったなぁ、アドレス持っていたんだし
反省材料多し、なセッションでした。
そのあと、時間が余ったので、『少林サッカー』を見に行った。
………もはや、サッカーじゃねえ、少林ですらねえ。いきなりクンフーやらダンスやらを始める通行者たち、(恐らく計算尽くの上で)素敵におざなりなラブロマンス、キャプテン翼を地でいくようなワイアーアクション(個人的には、スライディング部隊が大好き)、「無問題」と叫ぶゴールキーパー(「問題ない!」と訳さなかった字幕制作者に乾杯)、回転に回転を加えることでシュートの威力を高めるという見事に間違った番長理論…心ゆくまで大笑いさせていただきました。つーかこれ、キャプテン翼とかの日本のサブカルチャーを見慣れていないと面白くないんじゃないのか? 少なくとも、欧米で受けるかどうかはかなり微妙な作品だった。
ご意見・ご感想・ご質問・苦情・その他萬、こちらにお願い申し上げます。