ご意見・ご感想・ご質問・苦情・その他萬、こちらにお願い申し上げます。
「なにギャラリーフェイクごっこしているのさ?」
ギャラリーフェイク二巻六十四頁の台詞だよ。
いや、紙魚砂氏の【TRPG覚書】の◆“幻想的”の演出テクニックを読んでね。上記の台詞を思い出したのよ。
「つくづく似ているよね、紙魚砂氏と」
覚え書きを読むたびに、そう思う。考え方が、本当によく似ている。「鶴の恩返し」、「猿婿」、「『Kanon』構造分析」、「えいえんの向こうに見えるもの」と、通して読んでみればよく分かるけど、私と実に同じファンタジー観を持っていらっしゃるようだ。向こうとしては良い迷惑かもしれないけど(苦笑)、一度、是非卓を囲んでみたいものだ。
“ファンタジー”に説明は不要である。それは明らかにしてはならない。ただ、感じさせ、納得させ、丸呑みにさせるだけである。
なんてのは、まさに至言だと思うよ。ファンタジーってのは、一瞬の世界なんだ。「一瞬のうちに変化するモデルの表情への驚き、あるいは失望、あるいはときめき」みたいなものが必要なんだよ。紙魚砂氏は感覚的にそれを理解しているんだろうなあと思う。初手で一撃、反論を完璧に封じることこそ、極上のファンタジーの証なんだ。理解させる必要はない、ただただ、納得させれば良いんだ。
個人的には、そこにさらに「ファンタジーとは、すべての結末が等価に語られる、等価の物語である」ということも付け加えて欲しいけどね(「えいえんの向こうに見えるもの」参照)。氏には、是非『ONE』と『銀色』はやってもらいたい。この二つは、ファンタジー読みにとっては、息が止まるほど美しいファンタジーだよ。
「二本とも、エロゲーだけどねー(爆死)」
『少女革命ウテナ』をファンタジーの参考文献においたり、『千と千尋の神隠し』を極上のメルヒェンと評価しているあたり、話が合いそうな気がするんだけどなあ。
「1万3千円也」
あいたたたた。
で、そのあと、DVD売り場に行ったらさ、『ナジカ電撃作戦』なるアニメのデモをやっていてね。タイトルのヘタレっぷりとオープニングのアレな出来に、つい手を出してみたらさあ。
「やっぱり、駄目だった…と」
あいたたたた。
オープニングは良かったんだよねえ、B級アニメっぽくて。ルパンのパクリみたいな潔さが気に入ったんだけど………。
お前ら、そんなにパンチラを見せたいのか!? と、小一時間ほど問いつめたいよ(血の涙)。
「小一時間ほどパンチラを見せつけたいんでしょう?」
………そだね。
つーわけで、パンチラ好きならお薦めするよ(なげやりっぽく)。
で、ブレカナ2見ました。
………あのー、ルールブックが細かくて読む気が起きないんですけど?
「火塚は基本的に怠惰な生き物です」
まあ、全体的にいい感じに仕上がっているとは思う。
個人的には、変にルールが整備されて、旧ブレカナ時代のアバウトな魅力が損なわれているような気もするけど…まあ、良いでしょう。少なくとも、天羅・零と違って、慣れれば気にならなくなるレベルだろう。
「まーアンタは、クリチャー自作ルール使わなくても、クリチャーの“刻まれし者”を作るような人間だからねえ。データ不要を強固に唱えるのはよく分かるけどさあ」
ファンタジー読みたるもの、それぐらい解釈に柔軟性がなきゃいけないでしょう。
とはいえほら、FEARも商売だからね。やっぱり、データによるサポートの方が金になりやすいんだろうなあ(危険発言)。
クリチャールールはあったらあったで便利だけど、別になくてもそんなに困らない。ってのが、私の持論だよ。ここら辺、N◎VAの追加特技とかマイナスナンバーとかにも共通する話だよね。だから、いまとなっては、割とどうでも良い。あるからには使うだけだよ。
魔印のルールも、まだ良く読んでいないけど、明確にルール化された分、ふくらみが無くなったのは残念だね。これもすぐに気にならなくなると思うけど。
「ところで、何故君は、N◎VASSSから目をそらす?」
………いや、シナリオとか追加特技とか読んでさあ、思ったのよ。
私が好きだった、シックなN◎VAはもうオフィシャルにはないのかなあと。
「シックなN◎VAなんて、はじめから幻想だったんじゃないの?」
…ふ(涙)。
とはいえ、やっぱり、フラグ管理がきついシナリオはどうにも性に合わないなあ。
「んー、妖氏の日記(十一月二十七日)かい?」
みんな気付いているかと思うけど、この日記の形式も、妖氏の日記から盗んできたものだから。
「でも、著作権侵害じゃないからおっけーと、君は言いたいと?」
ふ…。
えっとだ、実は私、アルカナのGMは十回程度、PLにいたっては二回しかしていないので、釈迦に説法というか、実にアレなのだが、私が考えるアルカナのキャラの作り方のコツというものを書いてみようかと思う。ちなみに、いままでアルカナのシナリオは五本程度作成しているが、全部実にアレな出来であることはここだけの秘密だったりするわけだが(その内容は「人魚姫」から推測してみよう)。
「「モンテギュールの翼」とか「竜殺し」とか、やりすぎだよね」
…ええと(苦笑)。アルカナのキャラ、すなわち、“刻まれし者”の最大の特徴は、彼らが英雄であるという一点に尽きる。これは、了解してもらえるよね? 一応、公式でも、アルカナは世界で唯一のヒロイックファンタジーである旨明言していたし。
じゃあ、ここで質問だ。英雄の条件とは?
「えーと、えーと………強さ、ではないよなあ、君らしくない回答だからなあ」
良くおわかりで(苦笑)。
ま、ここら辺、民話研究とかからの流用なんだけど、強さは英雄の条件ではない。英雄の条件は、そうではなく、“まれびと”であるということだよ。
「まれびと?」
そう、稀なる人。生まれが高貴であるとか、桃から生まれるとか、近親相姦の結果生まれた子供とか、さすらう運命にあるとか、そういう、尋常ではない生き方をする定めにある人たちのことだ。生まれや育ち、あるいは現在、尋常ではない生き方をしている人たちは、尋常ではないがゆえに尋常ではないことを成し遂げるという信仰だね。英雄信仰とは、尋常ではないことに対するあこがれなんだよ。
「また、そういう風に決めつける………」
まあ、気にするな(マテ)。
でも、英雄がまれびとであるということは、それなりに納得できることだとは思う。
英雄ってのは、優秀である必要はないんだ。昔話でよく見られる貴種流離譚にも、愚かな三男が最後に幸せを掴むというような、徹底的に劣っている者が英雄となる話はとても多い。三年寝太郎が三年も寝続けるのも、力太郎が旅に出かけるまでずっと赤ん坊であり続けたのも、まれびとである証なんだ。英雄ってのは、とんがった存在なんだ。中途半端に優秀な英雄は存在しない。徹底的に劣っている、徹底的に変であるというように、稀であるということが英雄の条件なんだよ。
「もしかして、アルカナって、キャラ作るのけっこう難しくない?」
…かもしれない(苦笑)。従来のTRPGのキャラ製作の方法論にはないものだからなあ。
例えば、他のTRPGではPCが英雄候補生として扱われることがあるけど、英雄と英雄候補生って、明確に違うよね。英雄はまれびとだけど、英雄候補生はこれからまれびとになる人たちだ。冒険の過程で大切なものを得たり失ったりして、結果、「英雄=まれびと」になるのが英雄候補生なんだろう。
冒険者もまれびとではないよね。確かに、冒険者は流転する人なので、その点でまれびとと呼ぶべきかもしれないけど、冒険者は社会システムの中に組み込まれていることが多いから、そういう意味ではまれびとではないだろう。
しかし、まったく手がかりがないわけではない。
例えば『LAND of The GUILTY』だ。あの因果律は、それだけでまれびとの条件を満たしてくれる。
どの因果律も、尋常ではない設定を“刻まれし者”に提供してくれるからね。
他にも、聖痕としては、ウェントス、クレアータ、マーテル、コロナ、フィニス、エルス、ディアボルス、フルキフェルあたりがやりやすいんじゃないかと思う。
ウェントスは、“刻まれし者”に流転の運命を与えてくれる。
クレアータやフルキフェルは、人の世界で生きる限り、それだけで“刻まれし者”をまれびととしてくれるだろう。そのルックスの悪さに関わらず、多くの人がオークの“刻まれし者”にロマンを感じるのは、やはり、その稀なることにあるのだろう。
マーテルは、俗世間にいる限り、やはりまれびとたりうるだろう。聖人は、俗世間と交わったがゆえに聖人(=英雄)とされたんだよ(ちなみに、私は聖職者のすべてがマーテルであるとは考えてはいない)。
コロナは貴人であるという時点でまれびとたりうるし、フィニスはいわずものがな。不死者であるということはそれだけでまれびとだろう。
エルス、ディアボルスは、彼にしか扱えないものを有しているがゆえにまれびとたりうる。アーサー王も、王者の剣を抜いたがゆえにまれびととされたことを忘れてはいけない。英雄は、自らが英雄であることを証明しなければならないんだ。そういう意味で、自分でしか扱えないものがあるということは、非常に有利に働く。
「あのさあ…」
ん?
「それって、『格好良いブレカナのキャラクター』かい?」
全然。こういう言い方すると角が立つけど、アルカナはカッコイイキャラを作るTRPGじゃないと思うよ。カッコイイキャラってのは、ライトファンタジーの文脈だと思うよ。そういうのは、S=Fなりエルジェネシスなり、より適切なシステムがあるはずだ。他にも、N◎VAとかダブルクロスとか。D&Dでカッコイイキャラを作る必要がないのと同じだよ。アルカナは、英雄を作るシステムであって、カッコイイキャラを作るシステムじゃない。もちろん、カッコイイキャラを作ること自体は自由だけど。
やっぱり、アルカナやるんだったら、彷徨える聖人とか、湖の貴婦人とか、妖精の血を継ぐ騎士とか、そういうのやりたいじゃん。
「アンタ偏りすぎ………そういうのに飽きたからカッコイイキャラやりたいんじゃないの?」
腐ってもファンタジー読みだ。常人よりは遙に多い引き出しを持っているから、私はまず飽きることはないよ(笑)。
やっぱり、アルカナは良いね。
誰に憚ることもなく、異端物、異教物、妖精譚が出来る(笑)。アルカナ世界は唯一神アーが支配するけど、『LAND of The GUILTY』を読めば明らかなように、正統と異端・異教との確執を一つの機軸にしている。正統を描けばそれだけ影の部分、異端や異教、それに妖精たちにスポットライトがあたるのは自明の理だろう。“刻まれし者”たちは神に愛された者であるがゆえに聖痕をその身に宿し、異教・異端は、時に“殺戮者”として敵対し、時に助言者として協力する。あるいは、英雄として“殺戮者”を駆逐する。それはおそらく、アーの大いなる計画の一部なんだろう。なんというか、滅びゆく者たちの美学を感じるなあ。
「アンタ電波受けすぎ」
まああれだ(苦笑)。奇をてらった(カッコイイ)キャラ作りに走らないで、まずは基本の英雄譚をじっくり骨までしゃぶってみることをお勧めするよ。人類有史から成立していただけあって、英雄譚の重みは尋常ではないはずだ。
もちろん、スラップスティックにアルカナを楽しむことも自由だ。デクストラでガンマンを名のるのも自由だろう。しかしそれはどちらかというと本筋からはずれた楽しみ方だとは…思う。本筋を語れるだけプレイ数をこなしていないからアレだけど。GM的には、そーゆーの持ってきても全然おっけーだし。
「おっけーったって、アンタの場合、PCを見ていないだけだろーが。だいたい、アンタ、アルカナ2まだ買っていなでしょうが」
………うお! ここ一週間、すげえ無為に過ごしているかも自分!?
ちなみに、キャラは有利不利きっぱり捨てて、パーティーに足りなかったクラス、プリースト(属性:魔)+ローグである。スクロールで全身武装したお助けお便利、究極器用貧乏キャラにする予定。自分にシールドの魔法をかけて突貫突撃。うりー!
身内とのセッションののち、White氏のお宅に襲撃。
ボードゲームとやらの手ほどきを受ける。
共和制ローマをプレイしようと思ったら、ルールブックの和訳が不完全だったゆえプレイを断念。ぎにゃー。
というか、例外の方が多いルールって、何よ?
仕方がないので、銀河帝国の逆襲(だったかな?)をプレイ。なんか、いきなり二ターンで滅亡させられてみたり、どう考えても実現不可能な勝利条件を引いてみたりした(過半数の相手と同盟を結び、かつ、半分以上の宙域を滅亡させろって、どういうことよ?)。ぎにゃー。
プレイヤーの一部が意識を失ったので、カタンを四人プレイ。
このゲームは、ルールを聞かされた瞬間、「あ、分かりやすいな」と納得できるものだった。しかも、単純でいて、結構考えるべきことが多い。なるほど、良質のゲームだ。
ボードゲームをプレイしてつくづく思ったことは、ヒューマンエラーに対する配慮のなさ。
これでもかと言わんばかりにルールを詰め込み、管理を難しくしている。人間が基本的にミスをする生き物であるという事実に対して、あまりに配慮が足りていない。
もちろん、カタンを始め、近年のゲームは、そこら辺随分と改善されているらしいが、それでも、なかなかどうして趣味として広げるにはかなり厳しいジャンルであることを実感した。
もちろん、私の主張するところである交渉ゲーム的には、ルールをどれぐらい正確に把握する、あるいは意図的にルール解釈を誤ることも交渉ゲームの一種であるわけだが、そこまでPLに交渉ゲームを期待するのは、遊技として、趣味として、色々問題があったりするわけだ(笑)。
今日、職場にウィルスが紛れ込んできた。執筆者の一人に感染して、メールを勝手に送信してきたようだ。
先方に電話で知らせたり、メールを削除したり、感染していないかハードディスク内全部を洗いざらい調べてみたり、結局、定時を越えてしまう。ぎにゃー。
仕事が終わったのち、秋葉原に出かける。お目当てはブレカナ2。と思ったらまだ入荷していなかった。ぎにゃー。
なーんてことを考えながら(今日に日記のネタにしようと考えながら)牛丼を食べたのち、帰宅してみると狂牛病騒動再燃。ぎにゃー。
『まりんとメラン』ってさあ、ギャグとシリアスの配置が絶妙だよね。
第一話でモノマキアに追いかけられ絶体絶命のピンチでありながらも、そこにデフォルメ画を挟んだりするあたり、職人芸を感じるよ。
「君が逆立ちしたって出来ない芸当だよね」
…できないよねえ。私のシナリオって、どうにもエッジに走るので、シリアスの中にギャグを配置したり、ギャグの中にシリアスを配置したりする事はどうにも苦手だよ。
「でも、ギャグとシリアスの配置の妙ってのは、物語創造の王道だよ?」
うむ、それが困ったことなんだよ。これは、内山氏のシナリオをプレイしたときから感じていたことなんだけど、どうにも私のシナリオはエッジに走りすぎているんだ。触れれば切れる切れ味を持っていると自負は出来るけど、一方で、確実に一般ウケされないシナリオ構造になっているよね。
………ここら辺、課題だなあ。
家族で森下のみの屋に行きました。桜肉(馬肉)専門のお店です。
桜鍋、美味しいですね。味噌の甘味と桜肉の獣の臭みがいい感じにマッチして、大変美味しい。
あーまー、馬肉ですき焼きしているようなものだけどなあ。
「どうだった?」
私の睡眠時間と千五百円を返せ。
「つまんなかった?」
はっきり言ってやる(笑)。くそつまんねえ。マジカルN◎VAのシナリオの参考にしようかとも思ったけど、役にもたたねぇ。
軽いんだよ、話がどこまでも。
話にしっかりとした足腰がない。適当に東洋哲学ぶっこいて、適当にワイヤーアクション決めて、適当にロマンスと奇跡とを演出して、はい、完成、って感じだ。
売りだったワイヤーアクションも、カクカク動いているだけで、臨場感もへったくれもないし。おまけに画面が暗くて、肝心のアクションも何がなんだか見にくいし。ワイヤーを隠すためか? とか変な邪推しちゃったよ。どうだい、実写でもココまで動かせるんだ、すごいだろう。あーはいはい、そうですか、よございますね。飴あげるから、あそこで遊んでなさい、坊やって感じだ。
「睡眠不足は人をここまで荒ませるのか…」
ところで、『まりんとメラン』のラストは、どうかと思う。
「あの、観客に解釈を任せるラストだね。あれ、君、そういうの好きじゃなかったっけ? 放置プレイだとか言って」
好きだよ。でも、時と場合ぐらいは選ぶ。『まりんとメラン』という物語においては、むしろラストははっきりと提示すべきだったと思う。
こういう比較の仕方はあれだけど、『千と千尋の神隠し』のラストにおいて千尋がハクのことを覚えているかいないかは本質的な問題ではなかったんだ。あの物語で重要なのは、千尋が成長したか否かということで、それは作中ですでに示されている。だから、あそこはどちらでもかまわない。それをどちらだったかと想像するのは、観客の認識の問題にすぎないんだ。それは言わば、観客が物語を見てどうその心情が変化したか如何にかかっている。
一方、『まりんとメラン』は違う。主人公まりんがどちらを選ぶか、あるいは選ばないか、さらには第三の道を見いだすのかというのは、この物語においてとても重要なことなんだ。それが、まりんという人間の答えだから。
まあ、そういうケチはさておき、『まりんとメラン』は傑作と呼んで差し支えないよ。胸を張って子供に薦められる良質のアニメだ。アニメのおもしろさを改めて再認識させてくれた作品だよ。とにかく、気持ちいいぐらい無茶苦茶な物語なんだ。物理的に不可能なことなんて平気でやる。でも、「ああ、こういう無茶っぷりこそ、アニメの特性なんだ」と思わせてくれる。最近の小難しく考えすぎて作品全体の運動をぎこちなくしているアニメとは大違いだった。
「うわ、はや!?」
うむ、購入後、即、午前4:00まで見ていたからな。会社では眠くて眠くて。
「………莫迦?」
うむ、反論可能性がないほど、莫迦だ。
で、莫迦ついでにもうひとつ。昨日な、『まりんとメラン』のついでに、『スターウォーズ・エピソード1』と『マトリクス』とを購入したんだ。マトリクス、特別価格で安かったのよ。
「それが?」
それがなあ、家に帰ってみたら、そいつを入れた袋がなかったんだ。さてはどこかに落としたかと、今日も秋葉原に出かけたんだ。で、だ。
「ふんふん」
思った通り、ソフマップで商品を受け取り忘れていたようだ(爽)。
「………………………莫迦?」
………ごめん。しかも、私、商品を受け取り忘れるのって、結構ナチュラルに多かったりする(ごにょごにょ)。
「こん、どあほう」
さて、『まりんとメラン』だ。
凄いね、このアニメは、本当に、どこまで真っ直ぐなアニメだ。真っ直ぐな王道を、真っ直ぐに、いささかのためらいもなく、恥じらうことなく胸を張って作ったアニメだ。
…いや実は、私、第一話を見て泣いたよ。本当に、真っ直ぐな、丹念に作られたアニメーションを、久しぶりに見たからなんだ。「ああ、アニメって、こんなに楽しかったんだなあ」という気持ちを思い出させてくれた。
特に絶品なのは、おみくじ。首に絡まったおみくじが敵を倒すきっかけになるという、あの演出は…あれを見た瞬間、ふるえが止まらなかった。
「おや、昨日と比べて舌がなめらかだね」
まあ、一日経てば少しは冷静に物を書けるようになるということだろう。
貧乏な主人公と金持ちの友人、貧乏を寝たに虐められる主人公、友人のおかあさんは「あのこと遊ぶようになってから嘘を付くようになった」………べったべたのお約束、少し間違えればただのパロディになりそうな設定を、どこまでも真っ直ぐに取り組んでいる。主人公のピンチに都合よく助言をする猫型宇宙人ロロ。それはまるで助言者かトリックスター。まあよくもここまでと思うほど、毎回毎回クライマックスでどん底にたたき落とされる主人公。
お約束とご都合主義と、間の取り方、盛り上がったところでの引きのうまさ、そして、ささやかな伏線、全てがうまく絡まって、極上の出来になっている。
まあ、とりあえず見てください。決して損はさせません。
あれですね、『千と千尋の神隠し』と同じく、子供に見せたいアニメだね。
「うわ、まじ、ネタ?」
マジ。
つーわけで、財布の中身はスッカラカン。うらむよNa3。こんな凄いアニメを貸してくれたこと。
しかし、凄いね、このアニメ。どこまでも真っ直ぐだ。
どこまでも王道の設定に王道の演出を、丁寧に、丹念に、重ねている。
「なんだか、えらく言葉が少ないけど?」
この王道っぷりは、見なきゃ伝わらないので(苦笑)。
「ところでさ…」
なに?
「『ONE』の頁は、更新しないの?」
う〜〜ん。そうだなあ。正直、「えいえんの向こうに見えるもの」で書きたいことを書いちゃったからね。「ファンタジーとは、徹底的なリアリズムである」って。他に、書くべきものといえば…「エゴイスティックな物語」「主人公のトリックスター性」「ヒロインたちのトリックスター性」「ヒロイン=雪の女王説」………とまあ、あるにはあるけど、全部、ファンタジー理論の派生でしかないからなあ(笑)。
昨日の反省を生かし、前衛と後衛との役割分担をはっきりさせる。
初心者二人が機甲士(ガンブレイド)と大騎士(アークナイト)を選んだため、昨日プレイした私と黒緒氏は後衛に回る。ワントップ・ダイアモンドフォーメーションとなる。幻操士はプレイングが難しいため、シミュレーションになれている黒緒氏に譲り、自分は魔導士をプレイする。黒緒氏と私は前回の反省を生かし、最も効率がよい才能・経歴の組み合わせを考える一方、組み合わせとして強力な特技やオーヴァードライブエフェクトを考え、さらに、最も効率よく動かせるドラゴンアームズの設計まで同時に考えながらキャラを作る。マンチキン、マンチキン、ハンバーグ♪
私が目を付けたのがミリタリーマニアの才能とナーガロンド傭兵団。これに、イノセンス(だったかな? 要は、魔導の実験を施された人間兵器)を組み合わせる。ナーガロンド傭兵団は知性が低いため魔導士には敬遠されがちと思われるが、ミリタリーマニアやイノセンスは、魔導士に必要な知性と意志とを伸ばしてくれるので実は問題はない。しかも、ナーガロンドは、どの国の装備も購入可能という大きな特典がある。なお、ミリタリーマニアは、知性と意志とを伸ばした上に知性ベースの特徴である戦術まで付いてくる。はっきり言って、魔導士との相性は最高である。
残り一個は昇進の経歴。昇進は、戦術も付いてくるので美味しい。階級が一個上がるか否かで装備の選択肢が全然異なってくる。ふと、周りを見渡してみれば、全員、階級を上げているし(笑)。えらく装備が充実したパーティーだった。全員フレームのキャパシティいっぱいまで装備を詰め込んでいた。
魔導の特技はサンダーと差分値ダメージを乗せる奴。これで攻撃を担当する。本当は実ダメージを与えるファイヤーの方が強力なのだが、厄介なソルジャー排除まで視野に入れ、汎用性に富むサンダーを取得した。フリーポイントで戦術の特技を三つ取る。クイックネス、ムーブ、応援技(名前忘れた)。ムーブで味方や自分を戦場に送ったり離脱させると同時にRP値を上昇させるようにした。
ところで、戦術にしても魔導にしても、特技はかなり行動ポイントを消耗する。そこで、IP、RPを如何に多く確保するかが至上命題になる。IP、RPが伸びるクレイジーダンス(オーヴァーエフェクト)を取得する。フレームは当然オルキナス。タイフーンのRP値3も魅力的だが、装甲の致命的なまでの薄さがいただけない。最終的に、IP/RPは14/7。こっそり装備にカゲロウも取得しているので、クレイジーダンスを使えば戦場のどこにでも移動可能だったりする。
ところでこのキャラ、致命的なことに回避の特徴が1レベルしかない。このゲーム、天羅方式を採用しているので、特徴が1レベルでは話にならない。まず成功できないのだ。そこで、回避しなくても良いよう、防御力を増強する必要がある。IPを犠牲にして堅いフレームを積み始めるチキンがここに一匹。最終的には16点のアーマーという、オルキナスにあるまじき防御力を叩き出す。魔導や幻想に対して3点しか防げないので若干不安が残るが、そういうときのために、緊急回避用の装備を取得する。
全員がマンチに走ったため、キャラ作成だけでかなりの時間を消費する。
結局、模擬戦だけをこなすことにした。
模擬戦では、「この腐れMIST!」という名台詞が飛び交うものだった。ツーか、射程4攻撃とか、魔導防御力5点とかなによ、お前ら?
ともかくも、欠員無く勝利。よしよし。
自宅に帰ってからNa3氏から借りた『フリクラ』と『まりんとメラン』とを見る。
………すごかった。なにか、本当に久しぶりに、本物のアニメーションを見た。最近の腐れアニメと違って、ちゃんと動いている。
むう、『フリクラ』はともかく『まりんとメラン』は是非、購入すべきだ。
………いや、『フリクラ』が悪いというわけではない。むしろ、出来が良い。ただなあ、ちょっと(というより、ものすごく)下品なんだよなあ(苦笑)。
「よっぽど、ネタがなかったんだね………」
いや、そんなことはない。
キャストは、キャストであるがゆえに超人であり、英雄である。そのために神業や登場判定と言ったルール群が存在するのではないか。たとえ、<メレー>を1レベルも有していない剣士であっても、ただひとたび太刀を抜けば、いかなる防御をも砕く無敵の剣となるからだ。なに、そんな難しいことではない。ただ一言、≪死の舞踏≫と叫べばよい。
別に、経験点0点であっても、最強の剣士を名のることは自由だ。そして、N◎VAシステムは、神業の概念によりそれを保障している。≪死の舞踏≫が敵を切り裂くとき、そのキャストは間違いなくN◎VA最強の剣士である。経験点など、強さの尺度にはならないのだ。
経験点や業物、高達成値・高ダメージなど、しょせん、キャストの個性を表現するための一つのツールに過ぎないのだ。それは、PLがどのようにそのキャストの個性を表現するかというプレゼンテーションに過ぎない。
「なにこれ?」
ん? 最近のN◎VAの遊び方。
彼らは、別に経験点や業物、高達成値・高ダメージにこだわっている訳じゃあないんだよ。そういうルールやデータが存在し、それで表現したいキャストがいるからそうしているだけなんだ。
ただ、それを表現するのに、大量のデータを使いこなしているので、そういう遊び方になじめない人間から見ると何かマンチキンなことをしているように見えるんだろうね。
「ふうん。そんなこと、なんで今更書くのさ?」
まあ、なんだ。私は、キャストの個性など、しょせん物語内の役割の上澄みに過ぎないという人間だからね。正直、データ的な強さ以上に、そういうデータ群を使いこなしてキャストを表現したいという欲求はない。そもそも、私はキャストを作るときタロットを山引きして適当にでっち上げる人間だからね。キャストに対してほとんど思い入れを持っていないのが、正直なところだよ。キャストを作ったからには精一杯、そのセッションではかわいがるけどさ。
まああれだ、上記のような遊び方になじめない人間にも千差万別いろんな人間がいると言うことさ。私のようにキャストの個性化にあまり執着しない人間もいる。
あとは………地味なN◎VAが好き、ってのがあるんだろう。派手なエフェクトで神業を演出することはそんな難しいことじゃあない。キャストの演出方針をしっかり決めておけばいいから。私はそれよりも、シナリオの先を読み、伏線を張り巡らした上で、神業をとどめのごとく使うことで物語を操作するという遊び方の方が好きなんだ(出来ているか? という問いはしないように(苦笑))。いや、こういう遊び方をする限り、神業を使う必要ないジャンという話しもあるけど、しかしそれを神業の宣言という形で演出することで、なんというか、物語を作ったという感じが得られるんだよね。だから、なんだろうなあ。
あ、ここら辺、自分に確認する形で書いているだけだから。
「確認…ね。確かに、君のシナリオって、全般、そういうのをPLに求めているシナリオが多いよね」
うん。N◎VAで言えば「老人と犬」とか。N◎VA以外なら、「猿婿」「鶴の恩返し」「人魚姫」だね。らんぎるプロジェクトも、そうだなあ。
「あとさ、君、シナリオ作るときにキャラのこと、見ていないでしょう?」
う、確かに(苦笑)。まあ、どんなキャラでも導入できるように、という目的もあるんだけど、確かに、シナリオを作るときにキャラを見ないよね、私は。
「あくまで、物語内の役割でしかキャラを推し量ろうとしない」
そこら辺、私のシナリオが淡泊に見られる由縁だよね。そのキャラが活躍する場面、というものを全く用意しない。状況しかPLに投げつけないんだもの。
まあ、実際のセッションでは、もう少し、そのキャラを見るようにはしているけどね。キャストの設定に合わせてシナリオの細部をいじくってみたり。
「で、結論は?」
んー。最近のN◎VAの遊び方は、私にとってまあ、RLとしては趣味に合わないけど、PLでやる分には問題ないよ。なんだかんだ言って、強い英雄を演じるのは快感だし。RLとしての趣味に合わないとはいえ、そう言う遊び方を無視しては始まらないのでぼちぼち方法論を取り込もうと努力しているし。
「失敗ばかりしているけどね」
ははは(苦笑)。
「はい?」
いや、何となく思いついたので書き留めておこうかと。
そう言えば、二日前のらんぎるセッションで、参加者とN◎VAの遊び方について雑談していて、ふと、ルールブックを買った当初考えたことを思い出した。
どうも現在、N◎VAでは達成値21以上を出すことが当たり前になっている。
まあ、さらに言えば、そう言う遊び方すら飽きられて、いまでは達成値21以上出ないキャストと混在して遊ぶようにはなっているようだが、それにしても、GXで推奨するように経験点を大量に消費して遊ぶ遊び方が一般化しているようだ(少なくともオフィシャルに近い立場では)。<元力>10レベルとか、<交渉>10レベルとかね。
じゃあなんで高達成値を求めるかというと、それは別にマンチキンだからではなく、単にシステム嬢の必要性に起因しているようだ。<見切り>などで防御力を固めるとあっという間にキャスト・ゲストが死ににくくなるため、差分値で殺すためにも高達成値が必要になる、ということだ。
かくて、戦闘はどんどんと派手になり、キャストたちはさながら超人のような活躍をすることになった…のではないかと想像する。
もちろん、もともと2ndがそういう派手なものを想定していた節もあるし。
ところがそれに対して、当時、私は、N◎VAFREEにて強固にA絶対環境(最大達成値21)を唱えていた。
当時は、そういうシステム上の要請にまで思いがいたらなかったということもあるのだが、それ以上に、自分のプレイスタイルその他が論調に重大な影響を与えていたようだ。
というか、ルールブックを読んだ瞬間、自分に完全に自制をかけていた。
それはおそらく、2ndを遊んでいなかったこともあり、技能の組み合わせをN◎VAの特性と考えなかったことに起因するのだろう(そしていまでも、N◎VAの最大の特性は登場判定と神業という、物語を作るルール群にこそあると信じている)。
正直、特技を組み合わせるために技能を4レベルで取得するという発想は全くなかった。
それよりもむしろ怖れていたのは、技能を4レベルで取得することで『常に判定が出来てしまう』ことだった。それは、制御値という存在を無意味としかねない(大体、制御値は能力値+8ぐらいで設定されている。それは、カード目から見ると五分の成功率だ。常に判定可能であれば、どこか制御値が弱いところをつけば足りるのであって、それでは制御値という数値を設定した意味がほとんど失われかねない)。そこで、自分としては、2レベルあればプロ、3レベルで凄腕、4レベル取る奴はシステムの主旨を理解しないセンスが悪いマンチキンだろう、と無意識に考えていた。
<見切り>系は基本は1レベル、死ににくいということをウリにする場合は2レベル、それ以上取得することは御法度と考えていた。そうでないと、<ファイアアーム>が1レベルしかないようなキャストではそのキャストを殺せなくなるからだ(まあ、違う手段で殺せば良いと言えばそれまでだが)。N◎VAは様々な立場のキャストが参加する以上、特定状況といえども無敵状態が生じてしまうことは避けなければならないからだ。ここら辺は後述するが、私はN◎VAでは、いわゆる通常のTRPGのような前衛・後衛・情報収集役といった役割分担をする必要はないと考えている。そもそも、キャスト同士がチームを組む保障はどこにもないと思ったからだ(この点も後述)。
ブースタマスタは余程のことがない限り取得すべきではないし、その行使もアクトにつき一回にとどめておくべきだろう。クリティカルの概念がないN◎VAシステムにおいては、Aをクリティカルとして機能させなければならないためだ。同じ理由で達成値上昇系特技や有利条件も高レベル(3レベル以上)で取得すべきではない。2レベルで取得する場合も、わざと低いスートで取得するなど、工夫が必要だ。
フラッシュドライブなんて、余程のコンバットジャンキーでなければ取るべきではない。猫も杓子もフラッシュドライブではフラッシュドライブの価値がない。
経験点消費は30点程度に押さえておくべきだ。それ以上は、システムのバランスを劇的に崩壊させかねない。
そもそも、N◎VAの特技をデータ的に有効に活用しようとは考えてはいけない。
<鉄壁>などの強力な特技の取得は1レベルにとどめるべきだ。特技とは、データ付きの見せ技にすぎない。(いまでは弱い特技として認識されている様々な特技、例えば)<お追従>は、<交渉>で社会戦が出来ることに価値があるのであって。社会戦ダメージが上昇するのは単に付加的な価値に過ぎない。他のキャストには出来ない、<交渉>で社会戦を仕掛けるところに、そのキャストもマネキンたる由縁がある、というプレゼンテーションである、と考えていた(まあ、強いから取得する、弱いから取得しないということを別にすれば、ほとんどの人が同じように考えるのだろうが)。
物語的に見れば、キャストたちの敵(ゲスト)は一人か二人いれば十分であって、そう考えれば別にクライマックスにプロット戦闘を配置する必要はなく、神業の撃ち合いで決着をつけても問題はないとすら考えていた。なにより、せっかくN◎VAにはたくさんの戦闘が用意されているのだから、どういう方法で戦うかはPLに選ばせた方が好ましいだろうとすら考えていた。
そもそも、神業を全部使い切るという発想もなかった。神業とはPLから提示する見せ場であって、GMは神業を使うような場面をシナリオレベルで用意する必要はないと考えていた。それがたとえ7点程度のダメージにとどまるとしても、それがキャストの見せ場であれば≪難攻不落≫を使うものだろうと考えていた。ゲストが神業を使う(使い切る)という発想はほとんどなかった。
結局、そこにあった私の意識とは、映画の役者として如何に見せ場を構築するか、ということだけだった。そこには、データ的な有利不利という発想は皆無であった。データ的な有利不利は関係ないから、別にチームを組む必要もない。戦う理由がある奴だけ、戦えばいい。戦う理由がある奴はきっと、人を殺すだけの理由(≪死の舞踏≫などの即死系神業)があるだろうから、負けることはないだろう。
そうであればますます、クライマックスにプロット戦闘をする意味は失われる。
プロット戦闘は時間がかかるが、その場に全てのキャストが登場する保障はどこにもない、ならば、時間がかかるプロット戦闘はすべきではなく、神業の撃ち合いであっさりとけりを付けるべきだろう。それがクールでスタイリッシュなN◎VAのプレイングだろうと思っていた。
大体、当時はN◎VAを5人でプレイするなんて想像が付かなかった。
N◎VAは2〜3人でプレイするものだとばかり思っていた。それが、シネマティックだろうと思っていたのだ。
N◎VAには前衛後衛といったような役割分担は不要だ。N◎VAが、本当に映画的なものを目指すのであればそれはある意味論理必然的な要請だろう。
大切なのは、あくまで物語内での役割分担、すなわち、主人公とヒロインとサポート役、といったような分類に過ぎない。
もちろん、実際の映画でも前衛後衛といったような役割分担はなされている。
しかしそれはあくまで表面的な話であり、物語の深層から眺めてみれば、例えば戦士の役割とは、時に保護者であり特に主人公であり時にヒロインでありその他ありとあらゆるものである。そこには、前衛後衛という概念は実は存在しない。戦士だから敵を殺す、戦士だから味方を守るのではなく、復讐者だから敵を殺す、保護者だから敵の刃から味方を守るに過ぎない。
N◎VAにおいては、特技とは見せ場のちょっとした差異に過ぎず(表層的な演出に過ぎない)、それがそのキャラ唯一のアイデンティティである必要は何もない。戦闘シーンでカタナが活躍できない(特技が仕えない)のは役割分担の視点から宜しくないという発想はそこにはなかった。カタナの特技<修羅>を生かすべく、堅い敵を出す必要はまったくなかった。別に、カタナが活躍できるのは戦闘シーンだけではない。要は、カタナらしさを演出できればいいだけで、それが戦闘シーンである必要は全くないというのが自分の持論だった。カタナとは、折れない刃である。特技の判定をすることがキャストの見せ場であるという発想がなかったようだ。
だいたい、N◎VAは、特技というものを無視すれば、どのようなキャストでも技能さえ取得していればどのような場面でも活躍できる。カタナであっても社会戦や情報収集は可能だし、マネキンは<ファイアアーム>で敵を撃ち殺せる。特技は、キャストの設定を見せる見せ技に過ぎないというのが私の理解だった(その証拠に、メイクアップではたった6レベルしか取得できない)。
実をいうと、このような発想は、キャストの個性を全く省みないプレイングだ。
キャストはあくまで映画の俳優に過ぎず、重視すべきは物語内の役割分担であり、キャスト個々の個性ではない。この視点に立つとき、桃太郎も力太郎も浦島太郎も三年寝た郎も全て物語の主人公として同じ役割と機能を担うに過ぎないということになる。それぞれ、桃から生まれた、垢から生まれた、漁師である、怠け者である、といった個性は全く省みられない。それは精々、見せ技である特技で表現すれば事足りる、ある意味つけたし的なものに過ぎない。
まあなんというか、実に構造主義者らしい、物語論者らしい発想だなあと、我ながら思う。
じゃあ一方、キャストの個性を重視したらどうなるかと言えば、それが高達成値高経験点のプレイングに繋がるのだろうと思う。キャラが先にありき、キャラが勝手に物語を作るものであるという、いわゆる最近の文芸傾向(謎)に合致したプレイングなんだろう。
………ま、ここら辺の遊び方についてはまた明日。
ぐあ…colamじゃねえだろ、columnだろうが、自分。
ああ、恥ずかしい。ということで、著作権コラムのURLも変更しました。colamも残しているので、まあ、ぼちぼち(苦笑)。
仕方がないので早めにNOAHを出て五時からみなさんと食事をとる。池袋の鳥良。やっぱり、ここは手羽先が美味しい。ひとり四,五千円と値は張るが、味は絶対に保証する。
ところで現在のチャンピオンの連載陣をぐるりと見回して思うこと。
バキ、ななか、しゅーまっは、エイケン、ドカベン………ネタ漫画しかないし(爆死)。
『虹色ラーメン』がネタ漫画かどうかは微妙な線だが、ヒロインにメイド服を着せている時点でネタ漫画のレッテルを貼られても文句は言えないだろうと思う。
「山札引けよ」と怒られました(意味不明)。
確かに、考えてみれば、私の環境だと、プロット戦闘はないし、制御判定も滅多にしない。そういう環境で遊べば自然、山札引きはしなくなるよなあとか何とか。
手札が限定されるプロット戦闘とか、スートが合う確率が極端に低い制御判定とかを多用する環境であれば確かに、山札引きは多用することになるんだなあ。
あとは…まあ、外でプレイするにしても、マルチになんでも出来るキャラを作る癖が出来ているので、自然どんなカードが来ても事故らないようなキャラ作りを心がけてしまうからか(こういうところが和製マンチ)。パンサーに技能クリスタルつけて一枚余計にプロットしてみたりとか(苦笑)。
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