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さて、先ほどまでは、実は私、人格を偽って書いていました。以下では、本来の人格(といっても、物を書くときの人格ですが)に戻って、少々硬い文章という物を書かせていただきます。退屈かもしれませんが、論証は誤解なきよう、不快感を与えぬよう、懇切丁寧にさせていただきます。まずは、注意事項をお読みください。
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まず、誤解なきように申し上げますが、私の解釈は、絶対のものではありません。ある一定の基準・価値観に則った上で解釈する場合、このような解釈となりうるという、一つの例示であります。
ここで大切なことは、「ある一定の基準・価値観に則った上で」ということです。ネット上では、様々な考察や討論がなされていますが、そこでは本来、常に、その論者が立つ前提を考慮に入れることが必要です。所詮、理論とは、「こういう前提に立てば、こういう結論に到る」という、一つの仮説にしかすぎません。立つ前提が違えば到る結論も異なって当然なのです。更に、同じ基準に立ったところで、個々の論者のそれまでの人生によっては、その具体的なあてはめにおいて微妙にズレが生じることも少なくありません。
ちなみに、私の基準とは、「ルールとは法である」「唯一絶対の正しい回答は存在しない」「ゲーム性よりも物語性」「地味よりも派手」ここら辺にあったりします。
従って、本論考を読むにあたっては、以上のことを前提に、あくまで、私の意見を、参考意見として採り入れてください。最終的なルールの解釈権は、あなた(RL)にあります。
2.ルールとは法である(方法論)
まず、大前提として、私は、法学部出身です。私は大学で、徹底的に、法解釈、ルール解釈の作法をたたき込まれました。ここでは、ゲームルールも法である、という、一つの前提に従って、ルール解釈を、法解釈の趣向に従って、解釈させていただきます。
では、法解釈の基本とは、いかなる物でしょうか。
基本的な法律用語の定義からはじめてみたいと思います(有斐閣『法律学小辞典 新版』1022頁)。議論というものは、こういう当たり前なことを一歩一歩積み重ねていくものです。ここで為された言葉の定義が議論の前提となりますから、しばらくご辛抱ください。
まず、文理解釈というものがあります。
文理解釈とは、文法に従った解釈です。これは、法律の条文解釈は、何よりもまず、言葉の文言・国語的意味に従った解釈を行う必要がある、ということを意味します。
次に、文理解釈の論理的帰結として、反対解釈という物もあります。
反対解釈とは、言葉の意味に含まれないものに、適用を否定することです。
例えば、「この橋、馬わたるべからず」という看板があったとします。
文理解釈に従えば、文字通り馬は橋を渡ってはいけないことになります。
反対解釈によれば、馬ではない、人間や犬は橋を渡ってよいことになります。
更に、拡張解釈と縮小解釈というものがあります。
拡大解釈とは、条文の文言の意味内容を法規の文言の範囲内で、広義に理解する方法です。
縮小解釈とは、拡大解釈とは逆に、条文の文言の意味内容を狭義に理解する方法です。
先の例に従えば、姿や機能が似ているからと驢馬も馬に含めて考えることが拡張解釈、ここで馬とは農耕用を意味すると考え、それに適さないポニーなどを馬から除外するのが縮小解釈となるわけです。
また、類推解釈というものもあります。
類推解釈とは、あることについて、方の規定がないときに、その事項が法の規定する事項と共通の要素がある場合に、その本来の枠を越えて同様の効果を認めようとする解釈を意味します。
先の例では、「この橋、馬わたるべからず」という看板の目的を考え、重い動物などが渡ることを禁じたのだろうとした上で、馬の中に車や牛などを含めるのが、類推解釈です。
最後に、目的論的解釈というものです。
目的論的解釈とは、(法規は、結局、社会生活の規範であり、立法者は、相対立する様々の利益を調整する目的を持って法規を制定したものであるから、)法規の意味を探究するには、その法規の目的に合うような解釈をしなければならないとする解釈基準を意味します。
これは今まで見てきた解釈とは異なり、解釈の方法ではなく、解釈をするための基準となる考え方そのものを意味します。つまり、この場合には拡張解釈、この場合には縮小解釈といった、解釈を使い分けるための基準のようなものです。そこで目的論的解釈とは、条文の目的・趣旨に遡って、その条文の目的・趣旨を基準として解釈を使い分けているのです。この目的論的解釈こそが、現在、法律学において解釈基準の主流とされるものです。
では、なぜ、このような法解釈の考え方をTRPGで適用しなければならないのでしょうか。
また、法解釈の考え方は、具体的にどのようにTRPGに適用されるべきなのでしょうか。
法律においても、ルールにおいても、それが一旦紙面に記述された以上は、その記述に則って解釈されねばなりません。そうでなければ、わざわざ法律やルールを紙面に記述した意味がなくなります。これが、文言解釈こそがすべての解釈の基本であるとされる理由です。そこでもちろん、すべてが文理解釈できるのであれば、それはそれで問題はないのです。
しかし、所詮、法律・ルールは人が作りしもの。完璧であるはずがありません。どこかしらに法の缺欠(けんけつ、欠けているという意味)なり、杓子定規に解釈すれば不具合を起こすようにできているものです。
先ほどの喩えからすると、単に文理解釈・反対解釈をしただけでは、たとえその橋が馬が渡っただけで今にも崩れそうな橋だったとしても、牛や4tトラックが渡ってもよいことになります。この解釈がおかしいと言うことは、論を待たないことでしょう。
もちろん、ここでスポーツのルールであれば、審判という一つの権威の下、ルールを絶対として杓子定規に解釈を行うことも、また可能です。その後、後付でルールを個々具体的に追加するようにすれば十分妥当性が担保されるからです。これは、スポーツの場合、勝敗に対し割り切って挑めという考え方が通念化していることによるものでしょう。
しかし、法律とTRPGのルールは異なります。
どちらも、まさに、『今、』『妥当な』判断を強いられます。そこには、スポーツのような勝敗に対する割り切りがありません。次に勝てば良いという通念化は行われていないのです。法律は、まさにその場面で人の人生を左右しますし、TRPGのルールは、やはりキャラクターの生存を左右する物です。どちらも『一回的な』判断が要求されています。
もちろん、TRPGは、法律のように深刻な判断を要求する物ではありません。
ただ、マスター一人にプレイヤー数人というプレイスタイルから明らかなように、TRPGは、スポーツのように、勝敗に対する割り切りが通念化されている物ではありません(ここでは、「仮に」明らかとします。正確な論証をはじめれば、それこそ、別のコンテンツを立ち上げる必要があります。ここはいつか別の形で論証を行う予定です)。そういう意味では、TRPGは、一種、遊技に近いゲームだと考えます(右に同じ、ここでは、論証を省かせていただきます)。
法律とTRPGのルールの解釈には、まさに『今』『妥当な』解釈が要求されます。
そういう意味では、TRPGのルールにおいても、時に通常の文言の意味を越えた解釈を為すことが要求されるのです。
では、このように『妥当な』解釈の追求が許認されるとして、次に、どうやって、その『今』『妥当な』解釈を担保すべきでしょうか。
ここで、文理解釈、すなわち国語的意味から解放された解釈論は一歩まちがえば、決壊したダムの水のように猛威を振るうこととなります。拡大解釈、縮小解釈、さらには、類推解釈まで自由自在というわけです。こうなれば、もう、何を信じればよいか、わからなくなるでしょう。その水をコントロールするための一定の水路、道順を用意する必要があるのです。そのために編み出されたのが、次の、目的論的解釈です。
目的論的解釈とは、立法目的や制度の意図を考慮した解釈を意味します。どこまで拡大解釈(その言葉を広義に解釈する手法)、縮小解釈(その言葉を狭義に解釈する手法)が許されるか、その基準として法学の世界で通説とされてきた考え方です。
この目的論的解釈をTRPGのルール解釈に置き換えた場合、次のようになります。
「デザイナーの意図や、ルールの焦点、再現しようと狙うもの(要は、ルールの売りは何か、ということです)を考慮した解釈」その目的を達するに一番効率的な解釈を追求するために、拡大解釈、縮小解釈、果ては、類推解釈が行われることとなります。ですから、一つの条文、ルールを巡って、同時に拡大解釈と縮小解釈と類推解釈が行われることも、十分あり得ることです。私の解釈は、一見堅いように見えて、柔軟なところがあると思いきや、常に、一定のルールの元で、解釈されています。それが、目的論的解釈という手法なのです。
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