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偽神父のぼやき
言葉の用法は正確に。
23:56 N-Sinpu 虚構世界の構築というのは、どちらかといえば劇におけるどのように本当らしさを作るかという話だから
23:57 N-Sinpu 専門がフランス古典主義時代の文学だからなんだけど、あの当時、「本当らしさ」についての理論構築が演劇のジャンルに有るのね
偽神父のぼやき
ほんとうはアリストテレスの『詩学』、ホラティウスの『詩論』の再解釈作業なんだけどね。
偽神父のぼやき
文学上の写実主義と美術上の写実主義は微妙に違ったりする。というか後者の定義はかなり曖昧な気が…
00:03 N-Sinpu むしろね、火塚先生がTRPGに対して持っている考え方が古典主義演劇的なの
00:04 tatuya なるほど、まあ、そこら辺の用語はよくわかっていないからなあ、私(←そこら辺弱いよね、私の理論)
00:09 N-Sinpu 登場人物に一つの性格、役割を担わせるの>古典主義的演劇論
00:09 N-Sinpu その点では登場人物は記号的なの
00:09 N-Sinpu でも、その登場人物が「動く」時に、その登場人物らしい台詞と動きをすることが劇にとっての「本当らしさ」にとって大事だ、という考え方なの
00:10 tatuya それは、確かに私の考え方だなあ
00:10 N-Sinpu 火塚先生、詳しく話していたら、夜が明けてしまいます
00:10 tatuya そだね(苦笑)
00:12 N-Sinpu ただね、一つ言えることは理論派と実践派の争いというのはどんな問題にもついて回るの
00:14 N-Sinpu でね、あまり理論に走っても碌なことないの
00:14 tatuya そりゃ、そうだ
00:14 tatuya 結局、そこにあるのは、より面白くするための手段だから
00:16 na3 とはいえ…TRPGはやりたいねえ(笑)
00:16 na3 結局、いつも何も回らないんだよなあ(笑)
00:17 tatuya だから、ぐだぐだ設定詰める前に、あそぼうよう(単発シナリオ派の台詞)
00:19 mikky 悪かったな、ぐだぐだやってて(苦笑)
00:19 N-Sinpu モノかき的には解るんだけどね>ぐだぐだ
00:20 mikky 遊ぶより、設定考えるほうが楽しくなってくる段階にきてるのじゃ(笑)
00:20 tatuya でも、実は、物語の機能としては、あまり意味がない行為なのだよ>設定を詰める
00:20 tatuya しかし、だからといって、詰めるのをおろそかにすると、何が何だかわからない演劇になったりするし、
00:21 tatuya 観客が、設定のあらばっかり目について、逆に集中できなくなるし、
00:21 N-Sinpu 作者のイマジネーション喚起には大事だよ>設定
00:21 na3 機能が全てじゃないからのう(笑)
00:21 tatuya 面白いよなあと思う次第だね>機能がすべてじゃない
00:22 na3 マスター&プレイヤーのイマジネーション喚起は重要です
00:23 N-Sinpu 結局バランスなんだけどね、理論を構築しようとするとどうしてもエッジがきいちゃうから
00:23 N-Sinpu 「おもしろけりゃい〜のヨ〜」(雪国まいたけ風)(笑)
00:23 tatuya …そうなんだよね、この間の友人の演劇見て、とみに感じた>エッジが利いちゃう
00:23 na3 あとはその時々の精神状態(笑)
00:23 mikky 頭の中でキャラを動かす場合には、結構細かい設定は必要。
00:23 na3 そう言う点では、料理を味わう事に等しい(笑)
00:24 tatuya 腹減ってりゃあ、何でもうまい(笑)
00:24 na3 そういうことだ>腹減ってりゃ
00:25 N-Sinpu テクスト上のみで完結するのならば理論的に詰め切ったのもありだと思うんだけど
00:26 N-Sinpu 演劇もTRPGも再現芸術だからねえ
00:26 tatuya 私だって、理屈はこねるけど、それは結局、手段にすぎないと思っているからね
00:26 na3 TRPGはテキストだけではないからな…
00:26 tatuya あ、そういう意見、初めて聞いた>再現芸術
00:26 N-Sinpu 結局「観客(プレーヤー)」との直接的な接触が有るわけだし
00:26 mikky 演劇と同じく、「演技者」の技量による差も無視できないし。
00:26 na3 ただそういう点でチャットTRPGがどうなるのかは興味がある>テキストとしてのTRPG
00:27 N-Sinpu いや、なーさんテクスト上で「完結」しているという場合、変更がないということですよ
00:28 N-Sinpu チャットだったら変化するじゃないですか
00:28 N-Sinpu だからそれはテクストではなくて「発話」です(笑)>チャット
00:29 na3 ただ、会話よりもむしろテキストとしての形態にこだわりそうな気が…
00:30 na3 会話は、言語を媒介にしてイメージを構築します。それは音、タイミング、響きのニュアンス…そう言ったものを全て包含します
00:30 N-Sinpu ああ、パロールとランガージュの話になってきた(笑)
←ここら辺、こちらをお読みください。TRPG.NETの“構造”の諸概念です。
00:30 na3 しかし、チャットはむしろ、文字としての形、文章としての形態が媒介となるのですから、その演出形態はおのずと異なってくるはずです
00:30 tatuya 一方通行って意味ですか?>完結
00:31 N-Sinpu 使っている言葉を定義付けるなら・・・
00:31 mikky ああ、会話の多層構造化が・・・
00:31 tatuya 定義って、大切よね(笑)
00:32 N-Sinpu 「テクスト」というのは印刷をされるなどして、その受容の際に一切の言語的な「変更」がありえない、ということでしょう
00:33 mikky うーん、AIR夏編(笑)
←これについては、こちらを(笑)
00:34 N-Sinpu 受け手の問題ではないのです
00:35 tatuya なるほど、発話とテキストとの間に、彼岸の差を認める説なわけね
00:35 N-Sinpu っていうか、現代言語学の基本設定だが(笑)
←ソシュール言語学を意味します。TRPG.NETの“構造”の諸概念を参照のこと。
00:36 tatuya でも、認めない説もあったよね、確か>現代言語学
00:36 N-Sinpu でもね、普通に考えて、TRPG、あるいはチャットをしている時、言葉はリアルタイムにでてくるじゃない
00:37 N-Sinpu 小説とかを読んでいるときには、言葉がすでにそこに「在る」んだよ
00:37 na3 TRPGはともかく、チャットは少し違うと思う…私の場合は
00:38 na3 言語を目で確認する時間があるから…
00:38 N-Sinpu 変更可能性の問題だけで区切った場合の話だよ、あくまで
←わかりにくいかもしれませんが、ここら辺がソシュール的構造の真骨頂だと思って、『あきらめて』ください。
00:38 tatuya 演劇が変化するという論拠は?
00:38 N-Sinpu 演出、役者、アドリブ・・・いっぱいあるねえ
00:39 na3 演劇は変化するものだろう
00:39 tatuya ああ、そうか、演劇には、アドリブの可能性があったんだなあ、すっかり忘れていた
00:39 tatuya では、映画は?>変化するか?
00:44 na3 それは昔、教師に教わった事があるぞ(笑)>アドリブの可能性
00:44 na3 台詞は覚えるものではない…ってね(笑)
00:44 N-Sinpu そもそも同じ公演は「二度」とない
00:44 N-Sinpu つまり、この場合の変化というのは「脚本」という共通の叩き台(テクスト)からありとあらゆるバリエーションがうまれる、という意味で変化する、といっているの
00:44 N-Sinpu あ〜理屈っぽい(笑)
00:44 N-Sinpu 映画も「脚本」からは変化するよ
00:45 N-Sinpu TRPGにおきなおせば脚本は「シナリオ」だし、役者は「プレーヤー」だもの
00:46 N-Sinpu で、賽の目によって起きるアクシデントや、周りの反応による変化の部分が「アドリブ」「演出」になるのかなあ
00:47 na3 その理屈が成り立たなきゃ、「龍殺し」は成り立たないはず
【火塚たつやの解説】00:47 tatuya 実は、あまりそこら辺、細かく定義づけても意味ないんだけどね(苦笑)ずいぶんと分かりにくい話かもしれませんが、我慢しておつきあいください。
ここで話題に上っているのは、「TRPGが物語表現としてどのような特徴を有しているか?」ということなのです。
演劇や映画をたとえに上らせていますが、それはこういうことです。
通常の、テキストのみで構成される物語表現は、他者の介在無しに、ダイレクトに物語が読み手に伝わります。
例えば、小説であれば、小説家が書いた物語を読むのは読者です。これは、漫画も同じです。テキストという日本語(?)からはずいぶんと離れますが、やはり小説と同じく、漫画家が描いた物語をダイレクトに見るのは、読者本人であることには代わりがありません。
一方、演劇や映画は違います。演劇や映画は、物語の表現として、多人数の人間が(必ず)絡んできまず。原作者に止まらず、監督、演出家、音響、ライト、カメラマン、そして、当然、役者。このような多くの人間が、一つの台本を見て、様々な解釈をなし、それぞれ作品に望みます。そこでは、多くの人間の思惑が働き、当然のごとく、原作者の物語がダイレクトの観客に伝わるものではないのです。そして、この、意外性こそ、演劇・映画の魅力の一つでもあるわけです。
TRPGも、演劇・映画と同じく、PLという、観客兼役者が物語に参加し、物語表現を成すという特徴を有します。
この意味で、TRPGは演劇・映画に似ていると同時に、決定的な差異を有していると言えるわけです。
00:48 mikky TRPGは「物語」よりも「演劇」要素のほうが多いからね
00:49 na3 その辺のバランスが難しいですが>「物語」と「演劇」
00:50 N-Sinpu 私はむしろゲームとしての切り口が欲しかったなあ、この間のログで
00:50 N-Sinpu つまり、ルールをどう捉えるか、ということ
00:51 na3 私にとってTRPGは神話を作る作業に等しいから(笑)>むしろゲーム
00:53 na3 ルールについては私はアナーキーな人だし
【火塚たつやの解説】00:53 N-Sinpu でもね、行動原理を作るという点に於いてルールはその世界の「原理」じゃない?実を言えば、私はみっきい氏が、どのような定義をもって「物語」と「演劇」とを分けて論じているのかよくわかりません。それとも、「テキストのみで構成された物語表現」と「テキストのみで構成されていない演劇・映画」という意味で使っているのでしょうか?
00:59 tatuya でも、ルールに縛られる必要は全くない、と考えるんだよねえ…
00:59 na3 ルールってのは使うものだ。使われるものではない。
00:59 N-Sinpu だから、縛る縛らないの問題じゃないの
01:00 N-Sinpu あるゲームをする、ということは無意識のうちにプレーヤー同士の共通了解のもと、自分のPCをある世界のなかで遊ばせるということだもん
01:00 na3 縛られるってことはないだろう
01:00 na3 「ルール」の重要性は、存在すること自体にある
01:00 na3 適用するかどうかは次のステップの問題だろう
01:01 tatuya おお、やはり私と同じ立場か(笑)>「存在すること自体に意味がある」
01:01 tatuya ね、みっきい、このように、立場が違うのだよ(笑)
01:02 na3 「枠」として存在する事で、はじめてものを相対化して見る事が出来る
01:02 na3 ルールのあるなしがその世界で何を重視しているかを示すものでもあるし…
01:03 N-Sinpu いや、だからその依存の度合い(火塚注:恐らく、Na3の「その世界で何を重視しているか」を受け手の書き込みと思われる)の差を含めてルールというのはその世界の「神」だと思うんだよ
01:03 na3 ま、その辺の曲解は私の十八番だが(笑)>世界の重視するもの
01:05 tatuya うーん、私はどちらかといえば、判定それ自体の意味に着目するんだよね
01:06 tatuya 私は、判定の難易度が「いくら」ではなく、「難しいか否か」そちらの方が重要と考えるのですな
01:06 tatuya あるいは、そも、判定それ自体が「出来るか」「否か」に着目します
01:06 mikky まあ、私もルール「に」絶対性を求めますが、ルール「の」絶対性は余り重視しないので。
01:06 na3 …私はむしろ判定するか否かに懸けたいが(笑)
01:07 na3 常にプレイヤーには判定しないという選択肢はあるのだから…
01:07 N-Sinpu いや、あのね、火塚先生がいっているのは摘要面の話ね
01:07 N-Sinpu 私が今までいってきたのはTRPGを構成する「要素」としての「ルール」の話だったの
01:08 na3 うむ。確かに論点はずれてる(笑)>「ルール」
01:08 tatuya 摘要面???
01:09 na3>01:10 N-Sinpu つまり、火塚先生がいっているのは「シナリオ」にそった「ルール」の取捨選択ですね>摘要
01:11 N-Sinpu 「シナリオ>ル−ル」という立場をとる、という実践面の要素が強いでしょ?
01:12 N-Sinpu 私がいっているのは構造的な面なの
01:12 N-Sinpu つまり、理論的な面でTRPGを構築している要素としての「演劇」性と「ゲーム」性の両面からの考察をしたいな、して欲しいな、ってこと
01:15 tatuya ふむ…
01:17 mikky ルールを「世界を構成する要素」として捕らえているのは私。
【火塚たつやの解説】やっぱり、ここで言う「ルール」がどのような意味で使われているか、よくわかりません。
「要素」として「ルール」を捉えていることからして、「表現形式の一つ」としての「ルール」という意味で使っているのでしょうか?
だとすれば、それを神聖視するのはわかりますが、絶対視できるものではありません。
表現形式とは、「決まり事」みたいなもので、例えば、「歌舞伎」で女性が参加できないようなことです。それは、「歌舞伎」を成立させるためには神聖視しなければならないことかもしれませんが、それを無視しても、物語を表現することは可能であるわけです。あるいは、フランスの古典主義(でよかったかな?)が唱えた、演劇法則…登場人物、場所、時間の一致(同一の登場人物、同一の舞台設定、物語内時間は24時間以内)…などが例として挙げられるでしょう。それは物語に「緊張」を生み出しますが、絶対に必要というものではありません。旧来の演劇法則を打破することで、現代のドラマや演劇の演出が生まれた事実を見逃すわけにはいかないでしょう。
【偽神父のぼやき】01:18 tatuya< ふうむ、私にとっては、ゲーム性とは演劇性の一要素に過ぎないんだよなあ
「本当らしさ」を追求するならあるキャラクターの持つ職業/技能に関する「規定」を無視する事ができない。私はそれを「ル−ル」と呼ぶ。
シナリオをル−ルから完全に自由なものとして捉えると、ある世界観下で遊ぶというTRPGの「ごっこ」遊びの前提が崩される。
【偽神父のぼやき】
これについては後日…って火塚先生の思惑どうりかぁ…はうぅ。
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