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良かれ悪しかれ、1998年の18禁ゲーム業界の話題を席巻した一作です。本作のブームで、18禁ゲーム業界に泣きゲーという一大ジャンルが成立し、ムーブメントとなったことは記憶に新しいことでしょう。
その後、『ONE』のシナリオライターが作ったkeyの『Kanon』『Air』も、業界の話題を席巻、鍵っ子というムーブメントを起こしたことは、記憶に新しいと思います。
良かれ悪しかれ、ここ1〜2年の業界に方向性を与えてしまった作品です。
ところが、このように、業界に対する影響力が大きい割には、『ONE』という作品の評判は、芳しくありません。
そもそも泣きゲーに対し批判的な意見を有する論者が『ONE』を批判するのは当然として、『ONE』を評価する人たちの中にも、『ONE』の演出を中心に批判の声が大きいのです。
一つは、イラスト。これは、誰の目から見てもデッサンが狂っていることは明らかであり、その後の『Kanon』『Air』での改善を考えるとそれほど問題があるわけではありません。また、多くの論者が、「変だと思いましたが、もう慣れました」「今じゃこれがないとやってられません」と、口をそろえます。
一つには、システム的欠点。テキストスキップをやりすぎると止まるとか、テキスト巻き戻しがないとか、幾つか欠点が指摘されています。しかし、これも批判の中核とされることはありません。むしろ、セーブデータが30もあることを評価する声の方が大きいです。
そして、ここからがもっとも批判が大きいところです。一つが、ご都合主義。一つが、説明不足。一つが、選択肢の凶悪さです。
ご都合主義とは、一言で言うなれば、「感動」をもよおさせるご都合主義的展開に依存した物語構造を採用し、しかもそれが決して斬新でもなんでもない手法であるということを意味します。これは特に『Kanon』『Air』に対して強い批判ですが、キャラクターが極度にデフォルメ化され、現実世界ではあり得ないような幼稚な人物像を描いているというのも、『ONE』がご都合主義であるという補強証拠として働くことでしょう。
さらに、ご都合主義の延長として、物語の過剰性も問題視されているようです。
説明不足とは、作品の根底に関わる世界設定であるところの永遠の世界について、全くといって良いほど情報が不足していることです。ここを指して、『ONE』をEVAの延長線上に捉え、説明不足が許される悪しき流れと批判する向きもあるようです。前述のご都合主義と絡めば、『ONE』はまさに出来の悪い作品のお手本ということになるでしょう。
選択肢の凶悪さとして代表的な批判は、「たった一回の選択肢の誤りによってバットエンドに直行するのは、物語として読ませる作品の演出として誤っている」というものです。この論を採用する論者の多くが、作品として、『ONE』よりも『Kanon』の方が優れていると主張します。
しかし、私は、これらの批評を見るたび首を傾げてしまいます。「この人達、何を取り違えているのだろう?」そう思えて仕方がないのです。
それは、『ONE』の演出に対し、根本的な誤解があるからに他なりません。ここでは、『ONE』の演出とは何だったのか、そのことについて考察していきたいと思います。
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