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第一章は、朗読を採用した意欲的なアドベンチャーです。
…ゆさゆさと、ゆさゆさと…という繰り返し語られる言葉は、ただひたすら美しいです。
映画的な画面構成が最も成功したシナリオです。
見せるのはイラスト、語るのは語り手たるヒロインあやめ。テキスト量を出来る限り押さえ、かつ、繰り返しを多用することで今までにない独特の演出を実現しています。
第二章は、どこまでも由緒正しきファンタジーです。
龍神、堤防、雨期、巫女…そして、人柱。
このキーワードから導かれる結論はただ一つ。巫女が堤防の人柱となるお話、巫女が龍神に嫁ぐお話。主人公は、全てを理解して龍神に嫁ぐ巫女をただ見つめるしかないという、本当にどこまでも悲しいお話です。
そこに絡んでくるのが銀の糸。それでもなお救いがあったのは、巫女は代償を理解して願ったことであり、主人公は願いを拒みあくまで人の力で巫女を救おうと行動し続けたことです。
あーもー、私としては、村人たちのエゴとか、迷信話とか、そういう話はどうでもいいんです。
ファンタジー流に言えば、それらは、すべてそこにある「純然たる現実」です。それを全て受け入れた上で、どう行動するか?
それこそ、ファンタジーの主人公に求められる資質です。私としては、主人公には自作自演で村人たちを謀るぐらいのガッツを見せてもらいたかったですね。
………ところで、いくらエロゲーとはいえ、巫女と性交を重ねるのはどうかと思いました(苦笑)。あなた、他の人(龍神)に嫁ぐ娘とその婚礼の前日に性交を重ねるってのは、どうよ?
いや、普通の巫女であれば、巫女の方から絶対に断ると思うんですが、ねえ(不満らしい)。
第三章は、お姫様と王子様と魔女の物語。やはり、どこまでもファンタジーなお話です。北欧やケルトの神話でよく見られるような(魔女の)悲哀の物語です。
一番の悲劇は、お姫様と魔女とが表裏の関係であることに登場人物全員が気が付いていないこと。その関係はただ、物語の恣意によって決められてしまったもの。本当に、ほんのちょっと異なればその立場は容易に逆転していたことでしょう。お姫様は魔女になり、魔女はお姫様になるのです。
悲劇を止められなかった理由は明白、トリックスターの不在です。
トリックスターとは、(ファンタジーの用語の一つで)秩序の破壊者を意味します。秩序の破壊は新たな秩序を生み出すきっかけとなります。トリックスターは物語の突破者たり得るのです。
とにもかくにも、登場人物全員がテンパった状態で、状況を笑い飛ばすことで破壊する力を持ったキャラがいませんでした。トリックスターを本来担うべきであったヒロイン朝奈は物語早々でお姫様としての属性を手に入れてしまい、そのトリックスター性を喪失します。
光が輝けば闇もまた深くなる。朝奈がお姫様になり王子様の鍋島が朝奈を好きになるに従って、夕奈は朝奈の影のごとくその闇を、魔女性を深めることになります。
結局、鍋島は夕奈が絡め取られた糸に気が付くことなく、トリックスターのごとくその滑稽な状況を笑い飛ばすことなく、最悪の悲劇(喜劇)を迎えるのです。
………つーか、鍋島のふにゃちん野郎。ガッツがあったら姉妹どんぶりぐらいやってみせろ(半分本気)。
個人的には、ファンタジーの永遠の主題「女の戦い」が見られたので満足です。
誉めるだけじゃアレなので、一応。文章はかなりへたれです。かったるいです。なによりも、PLの頭の中にお姫様と魔女という図式が描かれていないと夕奈の急激な心情の変化にはついていけないものがあります。通常の文学形式になれている人間であれば確実に描写不足と判断することでしょう。
しかし、夕奈の心情変化は物語が要求した宿命です。定めです。回避不可能です。以上、諦めてください。諦めた瞬間、第三章は極上の物語になってくれるでしょう(無責任)。
ところで、(オープニングや最終章を見る限り、)全体として第三章の扱いが一番おざなりなのはどうにかして欲しいです(泣)。一番のお気に入りなのになあ(涙)。
第四章は、全く繋がりがない二つの話を巧みに切り替え描くことで、第三章までの『銀色』のお話を、繋がっていない銀色の糸を、一つに紡ぐのがその役目です。
場所の一致、状況の一致、台詞の一致、登場人物の名前の一致といういささか頼りないガジェットを使い、全体的なまとまりを持たせています。その、全く繋がりがない二つの話を無理矢理繋げる手法はどこまでもファンタジー的でしょう。実際、ここまで思い切って説明を放棄することが出来る書き手も珍しいです。それだけファンタジーを描ける人間が少ないということなのでしょう。
とはいえ、前の三章と比較して、その最終的なまとまりはごく普通の出来に仕上がっているような気もします…が(苦笑)。
しかし、あんなカウンセラーはいないと思います(苦笑)。
あのカウンセラーは物語の被害者であるという見方もありますが、患者に殺される覚悟がないような奴、保身に走ってしまうような奴には、カウンセラーをやる資格はありません。アレぐらいでへこたれてどうしろというのでしょう。正直、あれだけはどうにかして欲しかったです。
最終章は、なんとか落ちを付けています。
錆…銀の糸がどのような存在であっても、現実は純然と現実として存在し続ける。銀の糸と無関係な物語を描くことで銀の糸の無力さを描いています。我々は、無力な銀の糸に踊らされていたのです。ある意味、実に救いがなく、据わりが悪い話でしょう(たとえ、銀の糸の呪いから解放されたとしても!)。
トリックスターの不在が話に落ちを付けるのを如何に難しくするか、痛感したお話でした。話の美醜に関係なく、実に据わりが悪い終わり方となっています。
PLは第一章のプレイ中に気が付かなければいけません(別に義務ではありませんが…)。
PLが操作するのは物語であって主人公では無いということに。
物語内には、ヒーローもいればヒロインもいます。一応、第一の視点となる登場人物もいます(それぞれの章の声があるキャラ)。
しかし、『銀色』の登場人物に与えられるものはどこまでも配役のみで、ただ、その配役を忠実にこなすのみ。登場人物たちに物語を変える力はありません。PLは神の視点に立ち、登場人物たちが織りなす物語をちょっとだけ、ほんのちょっとだけ操作することになるのです。
ここでPLは、このゲームのルールに気が付かなければいけません。
このゲームのルールは、『銀色』が「ゲームとはなにかを語りかけること」その発見です。選択肢が物語の結末を変えることは絶対になく、ただ、その時々の選択肢がPLの世界観を映し出す鏡となります。PLは(結末が変わらずとも)選択肢を選ぶことで物語の加担者となります。物語に巻き込まれます。しかし結局、(結末は)何も変わらない。本来(そんなもの、私に言わせればただの幻想ですが)結末が可変するはずのゲームにおいて結末が可変しないという状態において、Pゲームとはなんであるか、それをPLは発見するのです。
あの、映画的な画面構成も、PLが何も出来ないという発見に一役買っている、心憎い演出でした。
そこまで考えるのは考えすぎだという説もありますが…我々は、同じような手法を採用したゲームを既に知っているのですよ。『Air』が良い例でしょう。
私は、『Air』よりも『銀色』の方が選択肢の使い方はうまかったと思います。特に第二章、第三章は絶品。私がTRPGゲーマーだからでしょうか、あの、PLに直接語りかけてくる邪悪な選択肢の連続は見事でした。結末が絶対に変わらないことを見切っていながらも、画面前で五分ぐらいうんうんうなっていました。
思うに、この、『銀色』のルールを発見できるか否かも、『銀色』の評価を分ける分水嶺となるのではないでしょうか?
『銀色』にはトリックスターがいません。
その状態を笑い飛ばせる登場人物がいませんでした。みんな己の事情にふさぎ込んでしまい、本当の意味での団結を拒否していました。どれもこれも小賢しい限りです。莫迦になって、「それでも良いじゃないか?」「それがどうした?」「莫迦みたいだ」、そう、声を大にするキャラがいなかったのです。
特にその傾向が強かったのが、第三章です。
だれも物語全体を眺めることはなく、第三者(PL)から見れば愚かとしか思えない行動をし続ける。全部ぶちまけてしまえば済む話を中途半端な優しさで隠してしまう(いや本当に、朝奈に詰問するシーンで、「それは、お姉ちゃんのためにも言えません」とかいう台詞が出てきたときには、思わず「言えよ!」と叫んでしまったです(苦笑))。
………これは、ファンタジーに(ある程度)精通し、この悲劇を止める方法を十分に理解していた私にとって、実に辛い作業でありました(いやまあ、それ以上に夕奈の見事なまでの魔女っぷりに酔っていましたが…)。
夕奈がお客さんの前で「殺してやる」と叫んだシーンなんて、良い転倒っぷりで期待したのですが(本当のファンタジーは物語の全事象を利用することに精通しています。どうでもよいような背景すら、そこでいったん描かれたのであれば、最後まで上手に料理するものです。あそこで、お客さんの目という状況を利用した作者の腕前には、本当に感心しました)、結局、朝奈がトリックスターでなかったが故に、その状況を生かすことは出来ませんでした。
鍋島が、ついと、形見を取り上げ、「全ては夢幻、儚く消え去る運命にあるのです」と、捨ててしまえば良かったのに…いやまあ、そんなの鍋島じゃないかもしれませんが(苦笑)。もちろん、朝奈の手元に戻ってくる可能性は大いにありますが、そのときは登場人物全員がさすがにその形見の危険性に気が付くことでしょう。突破点は、必ずあるはずです。
つーか、姉妹どんぶり…期待していたのになあ(ぉぃ)。いやこれ、本当に冗談でもなんでもなく、テンパった状態をうまく丸め込む、良い方法の一つだと思っています。トリックスターは物事の突破のために手段を選んではいけないのです。その場合、鍋島は、物語内の全ての矛盾・感情・愛憎を飲み込む、本当に偉大なトリックスターとなっていたことでしょう。
………かくもトリックスターとは、大変な存在なのです。
ファンタジーにハッピーエンドや喜劇が多いのはトリックスターの存在故でしょう。昔話に出てくる愚か者の物語や愚か者の三男の物語は、その良い例です。彼らは愚かであるが故に、物語のどうしようもないテンパった状態を突破する可能性を秘めているのです。
しかし、その代償は大きいもの。トリックスターは物語内の(さらには作者・読者)全てに恨まれる可能性すら覚悟しなければなりません。それでも、最後まで笑みを絶やしてはいけない、そういう、本当の意味でトリックスターは悲劇的な存在なのかもしれません。物語のハッピーエンドと引き替えに。
最後、ちょっと電波です。
いま、世の中に足りないのは、トリックスターです。
英雄は、本当の意味で世界を変える力はありません。
本当に世界を変えられるのはトリックスターのみです。ほんのちょっと、世界の相をずらすことでそこに本当の突破点を見いだす。しかも、それは一番犠牲が少ない方法だとすれば…?
トリックスターの物語こそ、いま世の中に求められているのです。私はそんな物語が書きたいです。
………ふと、気が付きました。
カウンセラーって、トリックスターではないだろうか?
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