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永遠の世界の向こうに見えるもの
結論
十一 ファンタジーは届いたか?
以上のように、『ONE』は、真にゲーム表現を最大限活用したファンタジーだったのです。
では、その物語、すなわち、ファンタジーは、多くのPLに届いたのでしょうか。
残念ながら、『ONE』のファンタジーは、人々の心に届いていないのが、真実でしょう。
それは、『ONE』の表層は、あくまでギャルゲーであり、ラブストーリーであり、ジュブナイルであるからです。『ONE』において「主人公と女性の関係が発展→主人公側の事情による強制的な離別→主人公の復帰による『奇跡』」という話の筋が採用されているという事実自体には、変わりがありません。
このような理解においては、永遠の世界は打破されるべき存在であり、日常のすばらしさが確認されねばなりません。そこでは、適度に浩平への感情移入も行われることでしょう(行われてしまうことでしょう)。
この点、KEN氏がすでに、「「ファンタジー」という表層を突き抜けることに対し、かなりのプレイヤーが(無意識のうちに)躊躇したように思えます。もちろん、これは、このゲームが「複数のヒロインを用意したマルチエンド」という体裁を取っているがゆえに、その「厚み」をより膨らませていることも一因でしょう。」としている通りです(*43)。永遠の世界は、人々の心に意識されることなどあり得ないのです。
では、『ONE』は失敗作であったのでしょうか。
確かに、『ONE』の永遠の世界は、人々に意識されることはありませんでした。
しかし、永遠の世界が描こうとしたことは、確実に、人々の心、無意識の中に届いているのです。
理性で割り切れなくとも、感性で納得できればよいのです。ファンタジーは、無意識に働きかけることを本旨とした文芸様式です。一度人の心に根付いたファンタジーは、いつか、そのファンタジーをその人が必要としたとき必ずや開花し、その人の手助けとなるでしょう。これこそ、まさに本当のファンタジーです。『ONE』は、徹頭徹尾、ファンタジーであり続けたのでした。
以上
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