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ノベルゲームをプレイしているとこのような思いに捕らわれることが度々あります。
もちろん、ノベルゲームすべてがかったるいわけではありませんが、マウスをクリックする作業を苦痛に感じることがわりとあるのです。これは、テキストの面白さに関係するものではなくノベルゲームにおいて、多かれ少なかれ確実に発生する問題でしょう。
では、ノベルゲームの多くで何故、マウスクリックの作業をかったるく、苦痛に感じてしまうのでしょうか。
例えば、漫画とノベルゲームとを比較してみましょう。
単行本でも雑誌でもいいですから、漫画のページをめくってください。
見開き二頁に複数のコマが目に飛び込んできます。大きいコマ、小さいコマ、三角のコマ、四角のコマ、枠が存在しないコマもあるでしょう。そのような様々なコマが、見開き二頁という版面にちりばめられているのが目に入ります。漫画に読み慣れた人間は、ときに横に、ときに縦に、コマの指定にしたがって目を動かし、漫画を読み進めることになります。
ところが、漫画を読み慣れた人間には信じがたいことかもしれませんが、漫画を読み慣れていない人間には、この、コマがどの方向に動くのかという、基本的なことが理解できません。彼らはそもそも、“コマが連続しているということ”すら理解できていないのです。
しかし、漫画を読み慣れた我々であれば、漫画とは決してコマ単体で成立するものではなく、コマの連続によって構成されている、ということは容易に理解できると思います。吹き出しに書かれた台詞とコマの背景に書き込まれる効果音とが情報として対等であるなどと考えることもあり得ません。このように、漫画を読み解くには、実は高度な修練を必要としているのです。これは、なにも漫画に限らず、多くの表現につきまとう問題です。表現を読み解くには、スキルを必要とするのです。
例えば、アクションゲームにおいて初心者の多くは、画面に動くすべてに過剰に反応し、情報を処理しきれずあっさりとゲームオーバーになる愚を犯します。これが熟練してくれば、自然に倒すべき優先順位を決め、余裕をもって対処することになります。
例えば、歌舞伎を観劇するに際しては、黒子とは舞台に存在しないことを前提に見ないと、歌舞伎を理解することはできないでしょう。
例えば、論文を読む場合、まず本文を読み、注釈は気が向いたときに読む程度で好い、ということを知る人間は意外と少ないでしょう。そして、莫迦丁寧にはじめから読もうとして何を言いたいのか途中で解らなくなるのです。
話が幾分ずれてしまいましたが、このように、漫画を理解するには、漫画を単に、イラストとテキストとで構成されたメディアであると理解するだけでは足りず、見開きにどのようにコマを配置するかで読者の目の動きを制御し、そこからダイナミックな物語の動きを再現させるメディアであると理解する必要があるのです。
漫画とは、単なるイラストとテキストとで構成されたコマの連続ではなく、版面にコマをどのように配置するか、コマのレイアウトによって構成される文芸であるのです。
漫画においては、情報は見開き単位で区切られ、頁をめくることで、見開きの版面に詰め込んだ情報をつなぎ合わせ、物語を導き出すことになります。
一方、ノベルゲームはどうでしょうか。
ノベルゲームは、イラストとテキストとミュージックとで構成されたメディアです。
多くのノベルゲームでは、画面一杯に背景のイラストが広がり、登場人物の立ち絵がちりばめられ、やはり画面一杯にテキストが展開し、バックにはミュージックが流れることでしょう。
また、背景のイラストは一枚絵によって構成されることもありますし、テキストが画面一杯に展開するのではなくウィンドウに3〜5行ほど展開するノベルゲームもあります*1。
そして、プレイヤー(以下、PL)は、(PCゲームであれば)マウスをクリックすることで、(家庭用であれば)パットのボタンを押すことでテキストを表示させ、ある程度テキスト表示が進めばイラストやミュージックが(ときにその両方が)変化することになるでしょう。
*1 その形式を採用する場合、アドベンチャーと呼称されることが多いでしょう。
では、ここで問題です。ノベルゲームにおいて、漫画を読むときに頁をめくる行為に相当する行為とは、なんでしょうか。
答えは、マウスクリックです。PLはそこで立ち止まり、ボタンを押すという能動的な行為を要求されます*2。
*2 あまり気がつかないことかもしれませんが、漫画の頁をめくるという行為は、極めて能動的な行為です。
そしてこの、マウスクリックという能動的行為こそが、ノベルゲームをかったるく感じさせる最大の原因なのです。
それはそうです。ノベルゲームにおいてマウスをクリックする行為とは、漫画のコマをひとコマひとコマめくるような行為なのですから。通常の漫画であれば、先に示したように、見開きのまとまったコマを見て流れを理解した段階で頁をめくることになります。ところが、ノベルゲームでは、ひとコマでは明らかに少ない情報をひとつひとつ見させられるハメになるのです。漫画であればB5で10頁、したがって、必要な版面は5つですむ情報を、ノベルゲームの場合、(例えば、1頁に7つのコマが入っているとして、)7×10=70もの画面(版面)を必要とします。
たとえ、トータルとしてかかる時間が同じだとしても、5の情報を伝達するのに70の作業を必要として、かったるく感じないはずがありません。
もちろん、漫画とノベルゲームとを簡単に比較するわけにはいかないでしょう。
では、小説とノベルゲームとで比較した場合、どうでしょうか。
実は、この両者で比較した場合でも、ノベルゲームは一画面における情報量で小説に劣っています。
見開きで最も文字数が少ないであろう文庫本のシリーズで計算したとしても、頁あたり48字×17行あります。それが見開きで二頁なのですから、1,500字ぐらいは楽に入る計算です。
ところが、ノベルゲームの場合、いわゆるビジュアルノベルの方式を採用したとしても、20字×19行程度です。400字入れば上出来でしょう。これがウィンドウに三行程度となれば、せいぜい50字程度です。
もちろん、ノベルゲームの場合、イラストやミュージックが同時に展開しますので、単純に比較できるものではありませんが、それが有効に機能するのも、イラストやミュージックが、足りない900字(場合によっては1,400字も!)を補ってあまりあるほどうまく活用できる場合に限ります。
さらに、小説の場合、あるシーンの情報が重要な情報ではないと読者が判断できれば、流し読み・斜め読みで頁をめくることも可能になります。ここで、小説の版面あたりの情報量は更に増大することでしょう。一方、ノベルゲームの場合、たとえ流し読み・斜め読みしたとしても、マウスクリックという能動的な作業の数は小説の比ではないでしょう(最低4倍、最悪20倍に増えます)。
映画などの動画とノベルゲームとを比較してみましょう。
差は、更に歴然とします。映画の場合、観客ははじめから最後まで能動的に行動することはなく、ただ、画面を眺め続けることになります*3。それに対してノベルゲームにはなんと多くの作業を必要とするのでしょう。
(ノベルゲーム以外の)ゲームと比較しましょう。
その場合も差は歴然です。ノベルゲームは基本的に一枚絵の連続によって構成されるのに対し、多くのゲームは動画の連続によって構成されています。ゲームにおいては、PLがコントローラーを動かせばキャラクターは画面を所狭しとせわしなく動き、さらには画面をスクロールさせるでしょう。多くのゲームでは、画面があわただしく展開することで、逆に、かったるいと感じる暇を与えません(もちろん、かったるいゲームもたくさん存在しますが…)。
*3 そういう意味では、映画には版面が存在しないと言えるかもしれません。ここで版面とは、受け手の能動的な行為を要求するレイアウトを意味しています。
以上のように、ノベルゲームが本質的にかったるいメディアであることが理解できました。
では、どのようにすればそのかったるさを回避できるのでしょうか*4。そして、多くのノベルゲームが、この問題に様々な形で挑戦し、それを乗り越えてきました。以下、具体的なタイトルを検証していきましょう*5。
*4 もちろん、ノベルゲームをそもそも採用しないという決断もあり得ますが。
*5 といっても、筆者もすべてのタイトルをプレイしているわけではないので、そもそもプレイしていなかったり、伝聞が入っていたりと、いささか不十分な検証となっています。
*1 Tactics、1998
タクティクスの作品です。いまの癒し系・泣き系の走りとも言えるノベルゲームですので、ご存じの方も多いと思います。『ONE』のテキスト表示は、ウィンドウに三行ほどのテキストが出るアドヴェンチャー型です。
『ONE』の特徴のひとつに、ヒロインの立ち絵の多彩な変化があります。眉ひとつ、口元目元ひとつ、1ドット単位で細やかに変化する表情は見ていてPLを飽きさせません。ここでは、テキストで語られる以上に、ヒロインの多彩でかつ細やかな表情変化、感情変化を表現することになります。テキストの他にイラストを併走させることで、一画面上の情報を圧縮し、結果、テキスト総量を削減しています*2。そしてPLは、ヒロインたちの細やかな表情変化をもっと見たいと、クリックする作業を苦に思わなくなります(これはもちろん、テキストそれ自体の魅力もあるのでしょうが)。
さらに、『ONE』は、主人公が消失する恐怖と合わせて、心理描写を丹念に行うことで、PLとのシンクロを高め、テキストをクリックするという作業それ自体を感情移入するための間として活用しています。そこでPLは、次のテキストを見ることを怖れるあまり、マウスをクリックできない自分を発見することでしょう。
このように、『ONE』は、テキストの他にイラスト上でも情報を併走させ版面の情報を増やすと同時に、テキストクリックの作業それ自体を、さながら漫画のコマを眺めるように、ノベルゲームの表現形態のひとつとして取り込んでいるのです。
*2 これが本来あるべきノベルゲームの形であるはず(ノベルゲームとは、テキストとイラストとミュージックとで構成される総合芸術です)なのですが、何故かノベルゲーム一般、テキストに依存する傾向が大きいのです。
*1 ソニー・コンピューターエンタテイメント、1998
マウスをクリックする(ボタンを押す)という作業がめんどくさいのであれば、その作業数それ自体を減らせばよい。最も安易にして、最も本質的な解決方法です。
この手法を採用し、最も効果を上げたのがPSのやるドラシリーズでしょう。
筆者は『ダブルキャスト』しかプレイしていないので詳しく論じることは出来ませんが、やるドラシリーズは、その名に相応しく、プレイするドラマ、すなわち、動画をふんだんに取り入れ、動画と動画との合間に選択肢を配置するという手法を採用しています。PLは動画シーンでボタンを押す必要はほとんどなく、ただ、所々に発生する選択肢を選べば足ります。
実を言えば、画面一杯にテキストが展開するというノベルゲームの表現方法も、アドベンチャーと比較すると、マウスクリックの削減にとって有効な手段として機能していたのです。
やるドラシリーズはそれを一歩押し進め、一画面に展開するテキスト量を増やすという従来の方法論ではなく、動画や声優に任せられるところはすべてまかして、逆にテキストを減らし、結果的に、マウスクリックの削減というよりも、マウスクリックそれ自体をそもそも不要としました。
そして、所々で発生する選択肢などの、マウスクリックが必要なところを、アニメーションとアニメーションとの間の間として活用しているのです。ここでPLは、先のアニメシーンを回想し、自分のペースで物語を理解しながら、じっくりと選択肢やテキストを楽しむことになるでしょう。
*1 ヒューマン、1998
『御神楽少女探偵団』でも、推理トリガーという、面白い取り組みがなされています。
これは、選択肢を選ぶ以上に能動的な行動をPLに認め、ヒントと思われる情報に立ちあたったときにPLがボタンを押すことでシナリオを分岐させるという仕組みです。推理物だった『御神楽』において有機的に機能し、PLは名探偵となって推理している感覚を疑似体験できたでしょう。PLは、ヒントを逃さないよう目を皿にして画面を見つめ、結果、一画面の情報量は飛躍的に増大します。
また、『御神楽少女探偵団』の場合、ひとつの物語を章ごとに区切り、その章でヒントが集まらなければもう一度章を繰り返させるという構造を採用しています。このような構造の元では、従来の一画面=一版面の印象は崩れ、一章=一版面という印象(*2)をPLに与えることになります。
ここでも、テキストクリックの作業それ自体を、さながら漫画のコマを眺めるように、ノベルゲームの表現形態のひとつとして取り込んでいるのがわかるでしょう。
*2 もっとも、一章といっても結構な長さですので、「一章=一版面」という感覚は実際には成立しませんが、「一画面=一版面」の印象は確実に崩れます。
筆者は未プレイなので恐縮ですが、『北へ。』*3のC.B.S(CommunicationBreakSystem)や『Prismaticallization』*4の状態を記録するシステム、『Blood the Last Vampire』*5のBLOODサーチも、推理トリガーと同様の機能を果たしていると考えられます。特に『Prismaticallization』の場合、1プレイが短いため、1プレイ=一版面と認識され、より、『御神楽少女探偵団』に近い印象をPLに与えることになるかと思われます。
*3 HUDSON SOFT、1999
*4 アークシステムワークス、2000
*5 ソニー・コンピュータエンタテインメント、2000
*1 チュンソフト、1992(PSベスト版1998)
*2 チュンソフト、1994(PSベスト版1998)
ノベルゲームの古典、『弟切草』『かまいたちの夜』の場合はどうでしょうか?
さすが、古典だけあって、意識してか意識せずしてかはわかりませんが、この問題に果敢に挑戦しています。
ここで注目すべきは、『弟切草』『かまいたちの夜』の展開の早さです。最近のノベルゲームの多くが1プレイ三時間以上かかるのに比べ、これらは、一、二時間程度でプレイ可能です*3。そこではかなりのスピードで物語が展開し、PLは漫画のコマを読み飛ばす感覚でマウスをクリックできることになります。
また、意外に背景の変化が激しく、そこでは、『ONE』における表情変化のごとく大量の情報がPLに手渡されることになります。
*3 そもそも、ノベルゲームのコンセプトは、選択肢による多彩な物語変化を楽しむ、ということでした。そこでは、繰り返しプレイを明らかに想定しています。そしてPLに繰り返しプレイしてもらうには、1プレイのプレイ時間を短くするのが最良の方法です。
ところが、最近のノベルゲームは、ストーリー重視に安易に走り、選択肢をただのルート分岐ととらえ、プレイ時間をむやみに増大させています。
『弟切草』『かまいたちの夜』の影響を受けた『雫』*4『痕』*5も、同じく、1プレイの時間を短くすることで、結果、版面の情報量を増やしています*6。
*4 LEAF、1996
*5 LEAF、1996
*6 ここで『To Heart』に触れていないことを不思議に思う読者もいるかもしれませんが、『To Heart』はギャルゲーとして革新的であったとしてもノベルゲームとしては平凡な作品だったたと思われます。ギャルゲーにおけるノベルゲームの革新は、『To Heart』の形式を採用し、『To Heart』のパクリとまで言われた『ONE』の登場を待つ事になります。
*1 REWNOSS、1999
実は、フォークソングが採用しているのも、『弟切草』『かまいたちの夜』と同じです。
1プレイを二時間程度と定め、そのためにあらかじめシーン数を絞り込み、共通するシーンはとばし読みできるようにして、物語の展開を早く回すようにしています。結果、PLは版面の多彩な(情報量が多い)変化に幻惑され、物語に没入できるようになります。
背景も、通常のシーンだけでなく、一枚絵においても二、三パターン用意し、それを変化させることで多彩な変化を実現させています。
また、チャート表を見せることで、1プレイが物語全体の一部でしかないことをPLに自覚させ、1プレイ=一版面の印象を強めています。
さらに、これは感覚的な問題なので、実際に見てもらわないと今ひとつわかりにくいことですが、『フォークソング』は、行間やフォント、一画面の文字数にも気を配っていると思われます。ここでは、他のノベルゲームと異なって圧倒的に読みやすいテキストを実現しています。
*1 チュンソフト、1998(PSベスト版2002)
ノベルゲームのレイアウト問題。ノベルゲームに背負わされたかったるさという宿命、この、ノベルゲーム最大の問題に果敢に挑戦し、ある意味最も成功していると思われるゲーム、それが、『街』ではないでしょうか?
『街』の最大の特徴こそ、ザッピングシステムです。展開するテキスト中の単語を拾い、単語から単語へとザッピングすることで、『街』は、多彩なレイアウトを獲得しています。過去へ未来へ自在に飛ぶ様は、動画のように流れる物語と誤認させ、PLにマウスクリックの苦痛を忘れさせてくれます。版面から別の版面へとザッピングし、ひとつの版面はティップにより、さながら別のウィンドゥを開くがごとく、また新しい版面を展開するのです*2。
正直、筆者はいままで、これほどレイアウトに優れた作品を知りません。
*2 『街』は、渋谷を舞台に、八人の、それも、互いにまったく関係性のない主人公たちの悲喜こもごもの五日間を描いたノベルゲームです。
PLは最初に、適当な主人公からゲームを始め、選択肢を選んでいきます。ひとりのストーリーはある程度進んだところで「つづき」または「BADEND」となり、その先を見るためには他の主人公の話でフラグを立てるなりしなければなりません(なお、PLは、ゲーム中、他の主人公の話に自由自在に移動できます)。
そこで、先の話を見るための鍵となるのがザップとティップです。ザップもティップも、テキスト中の特定の単語をクリックすることで発生します。
ザップとは、主人公から別の主人公へストーリーを飛ばすことで、例えば、Aという主人公が「死」について考えていたとき、Bという主人公は「死」の危機に瀕しています。ここで、AからBにザップすることで、Bは死を回避することになります。
ティップとは、単語の注釈みたいなもので、それをクリックすることで、単語、例えば人名であれば、その人物の簡単なプロフィールなどを解説してくれるのです。ティップは時にストーリーの裏話であり、時にPLにとってのヒントとなり、時に、ティップ内の単語からさらにザップすることが可能となるのです。
結局、問題は、ノベルゲームは、版面における情報量が少ないことにつきます。そのため、作業量(マウスクリック)が増大し、結果、かったるいという印象をPLに与えることになるのです。これを私は、ノベルゲームのレイアウト問題と呼びます。
レイアウト問題を回避する具体的な方策について、以上、具体例を検証してきました。
しかし、レイアウト問題の研究は、まだ端緒をつけたばかりです。今後の研究によって、具体例の例示にとどまらない、体系的な研究が進展し、ノベルゲームがますます発展していくことを心より願います。
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