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お気に入りのシナリオは、知的エンド第三ルート今を生きると、ノーマルエンドです。夕美との付かれず離れずのやりとりがよい感じでした。つーか、それ以外では、夕美、ただのやられ損(問題発言)!?
音楽、グラフィック共に、なかなかすばらしい出来です。
本作で特に感銘を受けたのが、加奈が吐くシーンとか、おばさんが八つ当たりするシーンとか。裕太との喧嘩も楽しかった記憶が…病気について、美化することなく真っ正面から捉えています。…だから、こーゆー作品を18禁で出すんじゃありません(爆)。
知的エンドでの、草原のシーンのやりとりは、一見の価値があるかと思います。
とは言っても、結局は、クリアして速攻でHDから削除しましたから…加奈という存在は、私にとって『ONE』の永遠の世界や『Kanon』の物見の丘に明らかに劣る存在だったようです。
大学生である今現在の中に、小学生のころの回想、中学生のころの回想、高校生のころの回想を挿入する入り箱構造はどうかと思います…特に、高校生のころの回想の中に、更に小学生のころの回想を入れるという、二重の入り箱構造は、かなり文章を読みにくくしているかと思います(なにより、読みやすい読みにくい以前に、美しい文章構造とはいえません)。
また、文章自体も、「〜だった」「〜だった」と、どちらかというと箇条書きを連想させる代物で、今一つ物足りなさを感じさせるテキストです。
ただ、まあ、プレイ中にふと思ったことは、ビジュアルノベル的表現としては、これでも問題ないのかな、と言うことです。
やはり、グラフィックやら音楽やらが付いていると、格段にテキストが読みやすくなるものです。そう考えたとき、入り箱構造にするのも、むしろプレイヤーにとって親切になるのかな、と思うわけです。テキストが箇条書きなのも、グラフィックや音楽との比重を考えると、むしろこれくらいの淡泊な文章の方が、逆に印象深くなるかも、と思います。
それにつけても、評価が分かれるのが、作品の題材として病気を選んでしまったところでしょうか。
思うに、病気という題材は、「アニメ絵で描かれた」ゲームとしては明らかに現実的すぎるのです。
結局、病気というものが現実的な問題である以上、本当の現実を描いたドキュメンタリーには勝てないのでは、と言うことなのです。あるいは、きちんと考察したテレビドラマには勝てないと思うのです。
『加奈』は、加奈が死ぬエンドについてはかなりずしんと堪えるものがありました。人間が一人、それも、最愛の人間が死ぬのです。それはある意味、堪えて当然でしょう。
しかし、加奈が助かるトゥルーエンドについては、「まーこれが限界か」と、割と淡泊に見送ってしまったのです。
アニメ絵は、結局、人間をディフォルメした記号にすぎません。記号が助かろうが、記号が死のうが、所詮記号にすぎないのです。人間をディフォルメした記号には、病気という現実的すぎる題材は似合わないのです。漫画やアニメ、アニメ絵のゲームなどで病気を扱うときは、むしろコメディーにして、病気をめぐって右往左往する人間像を描くという手法の方が、よほど印象深いものになるかと思います(現代劇では、おなじみの手法です)。コメディーだからと言って表現が劣ると言うわけではありません。病気という現実を歪曲し、ディフォルメ化することで、ただ現実を描くよりも、より一層の皮肉を引き出す、そんな演出方法もあったのではと思うのです。
思うに、漫画やアニメ、アニメ絵のゲームという表現形態には、やはりファンタジーこそ表現の形として望ましいのでしょう。ファンタジーは、現実を歪曲・ディフォルメ化し、よって、原因と結果を無理矢理短絡的に結びつけることで、逆にその結果を皮肉に表現する表現方法です。そう考えると、やはり、漫画などでは、病気や恋愛と言った現実的な問題よりも、ファンタジー的な要素を絡め、幻想的に世界を構築した方がよいのではと思うのです。
『加奈』は、アニメ絵のゲームという中にどれだけ現実を持ち込めるかという実験を試みた実験作だったのでしょう。
…ところで、「恋愛と言った現実的な問題」も、漫画やアニメ絵のゲームでは、実によく見られる題材です。名作も、かなりの数が出ているかと思います。
ただ、これらは、いわゆるテレビドラマとは全く異なる表現手法を採用しているからこそ成功を収めたのではと思います。
それが、萌えと言う感情なのでしょう(おいこら)。
萌えと言う、ある種ファンタジックな表現を用いることで、恋愛を非現実的なものに翻訳し、その文脈で恋愛を語る、これが、漫画などで見られる恋愛の表現なのだと思うのです。
逆に言えば、この萌えという表現は、テレビドラマなどには全く向かない表現でして、私は漫画原作のテレビドラマを見たことはないので、想像に頼るしかないのですが…例えば、ヒロインがベットの上で一人もだえるという、ある種古典的な萌え表現は、漫画などではおなじみの演出ですよね(なんてヤングジャンプなノリだろう)。これを、テレビドラマで再現してみる………なんちゅうか、実に木っ端ずかしく、見るに耐えない演出になる予感が…。
…このように、ある表現形態に別の表現形態の演出方法や題材を持ち込む場合は、互いの表現形態の特性を捉えた上での翻訳作業が必要なのではないのでしょうか。
私のとって『加奈』とは、こんなことを考えさせるきっかけとなる作品だったわけです。
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