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買い物に行こう。
由起子のプランは、こうだ。
まず、ボスバーガーでテリヤキバーガーを食べる。腹ごなしをしたのち、お気に入りのパン屋で菓子パンを買いあさる。そのパン屋は、安くて旨くて、何より日持ちがよい(気がする)。あとは、気が向いたら適当に散歩でもしよう。
それだけで、由起子の顔はほころぶ。炊事洗濯が苦手で、しかも休日に街まで出かける気力がない女性としては、まずまずの休暇プランだ。
由起子はにこやかに歩く。頭痛はもう無い。
日差しは適度に暖かく、良い日和だった。春も、もう近い。
「あれ〜〜、由起子さんじゃないですか?」
…呼び止められた。誰だろう? 聞き覚えは、確かにある。由起子は、小首をかしげるように振り返った。
「わあ、やっぱり由起子さんだ。お久しぶりです。長森です」
「………あ〜〜〜、あ! 瑞佳ちゃん! 久しぶりじゃないの!? うわ〜〜。本当にお久しぶり〜〜。なんか大きくなったねー」
「えへへー、そうですか?」
久しぶりに見る顔だ。長森瑞佳。近所に住んでいる少女だ。高校の制服を着ている。実は、由起子の母校だったりする。
「うわ、なに、瑞佳ちゃん。日曜だってのに制服着ているの?」
「えへへ、何だかめんどくさくて…」
「駄目、駄目よ。駄目だよ、瑞佳ちゃん。若いのにそんなこと言ったら」
と、出かけに突っかけてきたジーパンとニットのセーターという、お世辞にもおしゃれといえない自分のスタイルを棚に上げて、由起子はのたまう。
「え〜、それだったら由起子さんだって」
「いーの私は。もう、おばさんなんだから」
「そんなことないですよー。ほら、そのネックレス、かわいいじゃないですかー?」
二人は雑談モードのスイッチを入れてしまったらしい。
だから、お腹がすくんだ。由起子は軽くよろめいた。ちょっと、瑞佳ちゃんと話し込みすぎた。ボスバーガーまで我慢できそうにない。
『我慢をするとろくな結果にならない』
由起子の人生哲学だ。
「山葉堂のワッフル…」
由起子は、うつろな目で、ぶつぶつつぶやきながら、歩く。
プランは急遽変更。
ボスバーガーの途中にある山葉堂のワッフルで軽く腹ごなしをする。山葉堂のワッフルは甘くて美味しい。ここら辺では一二を争う人気の菓子屋だ。
こういうときは、出来る限り甘い物に限る。脳に栄養を補給しよう。
いらっしゃいませ、と、店員がにこやかに話しかけてくる…気がする。
お腹がすいた由起子には、そんなところまで気を回すゆとりはない。うつろな目で一番お気に入りのメニューを頼む。
「あー」
「蜂蜜入り練乳ワッフル」
「蜂蜜入り練乳ワッフル」
………ハモった。奇麗にハモった。何故か顔が引きつっている店員は、さておき。由起子は首を九十度曲げてみる。隣には、腰まで伸びたながい髪をおさげにしている少女がいた。
こちらの視線に気がつき、少女は顔を、赤らめる。可愛らしいしぐさだ。
「蜂蜜入り練乳ワッフルって、おいしいですよね」
少女は、気恥ずかしさを隠すように軽く会釈をする。
空腹に蜂蜜入り練乳ワッフルは、たいへん美味だった。
ボスのテリヤキバーガーも、美味しかった。
由起子はふんふんと鼻歌をならしながら菓子パンをプレートにのせる。一週間分の菓子パンだ。
日はまだ高いようだし、ついでに散歩でもしよう。
せっかくのお天気だ。散歩しない方が罰が当たるに決まっている。
風は暖かく、日は、高い。そらの雲は早く流れ、追いやられる冬のよう。
太陽のまぶしさに由起子は顔をしかめ、視線をもとに戻す。
街は、にぎわっていた。
「良い天気。街も、楽しそう」
由起子は街を歩く。
少女がペットショップのショーウィンドウに釘付けになっていた。
小学生か? 中学生か? おそらく、小学生だろう。
「みゅ〜〜」
ショーウィンドウに展示された何か小動物を大変気に入っているらしい。
由起子は少女を横目に、のそりと通り過ぎる。
ぱたぱたぱた。
別の少女が駆けて由起子を追い抜く。背が低い少女だ。ショートカットに大きなリボンが愛らしい。走るたびにリボンが揺れる。リボン以上に印象的なのは、手に持っているスケッチブック。けして大きくないはずの「それ」は、小さな少女の体には不釣り合いなほど大きく見える。
くすり笑みを、由起子は隠せなかった。
由起子は母校の前で拝む。由起子はこの街で生まれ、この街で青春時代を過ごし、そして今の職場についている。それまで、実に色々なことが起こった。
そうだ、色々あった。
しかし由起子は、どうにも感慨にふけることができない。
懸案が一つ。後ろで折り畳みのイスに腰掛けている少女だ。さっきからこっちを見ている。川名という表札が掲げられた家の前に腰掛けているからには、川名という名の少女なのだろう…が、やりにくくて仕方がない。
「どうも〜〜」
なにやらのんびりとした声で、少女が話しかけてきてくれた。
ありがたい。思わず「はい?」と返してしまう。
「私、川名みさきって言います。はじめまして」
「あ、どうも、私は小坂由起子です。はじめまして」
つられて返事を返す。
「みさきちゃんはなにやっているの?」と由起子。
「日光浴です。今日はいい天気ですから…由起子さんは?」
「え? 私? 私は…母校を拝んでいるの」
「あ、そうなんですか、実は、私もなんです」
「え? そうなんだ。まあ、家の前だから、当然といえば当然よねー」
川名みさきと由起子は、奇妙な縁で井戸端会議を始めていた。
由起子は、ラジオを聴きながら菓子パンをはんでいた。
ベットに寝そべり、お気に入りのラジオを聴き、パンをはむ。良き休息ではないか。これで明日から、また、戦える。
『えー、次は、“乙女希望”さんからのリクエスト…』
今日は充実した一日だった。
「ただいま〜〜」
がちゃりとドアが開く音と同時に声が掛けられる。
ベットに寝そべってラジオを聴いていた由起子は、ごろんとひっくり返る。
「ありゃ、浩平じゃない。あんたの顔を見るのも、久しぶりだねえ。元気にやってたかい?」
苦笑で返すのが、折原浩平。
「由起子さんほどパワフルじゃないけどね」
「…ん。あんたも社会人になったら、これぐらいやらないと駄目だよ…ま、それはともかく」
「おかえり」
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