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では次に、ティアリングサーガがファイアーエムブレムシリーズをパクったと言えるか? 法的な用語で言えば、無断で複製または翻案して、複製権・翻案権を侵害したと言えるか(112条、21条、27条)。
この問題はよく、パクリは是か非か、という問題に単純化されがちだ。そして、おきまりのパターンとして、パクリは良くない、もっとオリジナリティを、という回答に、大抵は落ち着くことになる。
しかし、問題はこれほど単純化できるものではない。法的のみならず、社会生活上で考えても、それがパクリかどうかは、なかなか判断つきかねぬところがある(さらに言えば、社会生活上、それがパクリにあたるかどうかは、多くは個人の主観に帰属する問題である)。そして現行法は、素人が思うよりは厳密に、狭く、著作権侵害を認定している。*03
ここでは、伝統的な学説にしたがって、まず、ファイアーエムブレムシリーズが著作物にあたると言えるのか、そこから考えてみることにしよう。*04
著作権法2条1項1号によると、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を言う。ここで重要となるのは、「創作的」な「表現」という二言である。すなわち、著作物として保護されるためには、「創作的」な「表現」である必要がある。*05
したがって、論理的に見れば当たり前のことだが、「創作的でない表現」も「創作的であるが表現ではないもの」も、著作権では保護されないことになる。
例えば、日常的な慣用句や単なる事実の摘示は「創作的でない表現」であり、著作権で保護されない。*06
例えば、企画書それ自体は創作的な表現が使われているため著作物と言えるかもしれないが、企画、すなわちアイディアそれ自体は「創作的であるが表現ではないもの」であり、著作権で保護されないことになる。*07
何故、著作権法がそのような法制度を採用しているか、一口で説明するのは難しい。本論考の趣旨からも著しく逸脱するおそれがあるため、注釈をもって簡単に摘示することにとどめる。詳しくはそちらを参照していただきたい(といっても、それでも触りに過ぎないのだが)。*08
閑話休題。
判決書では特に詳しくは言及されていないが、ファイアーエムブレムシリーズが著作物であることは、当然のように認められた。
では、ティアリングサーガは、(著作物である)ファイアーエムブレムシリーズの著作権を侵害したと言えるのか?
結論から言えば裁判所は、ファイアーエムブレムシリーズとティアリングサーガとは、確かに表現において似通っているが、その類似は「ありふれた表現」のレベルにとどまり、著作権の侵害を構成しないと結論づけた。
ここで、判決書を実際に手に取ってみよう。判決の中盤以降、「(ア) リーフとリュナン」「(イ) スルーフとセネト」「(ウ) サラとネイファ」……と、法律家が見れば、判決は両者を個別具体的に、詳細に、比較していることが理解できるであろう。*09
しかし、創作活動に関わる多くの人間が見れば、思わず疑念を抱かざるを得ない。詳細といってもキャラクターといった枝葉末節を比較するにとどまり、比較といっても多くは「鼻筋がとおった整った顔立ちで、凛とした表情をしている」といった、わかったんだかわかっていないんだか良く分からないような表現が繰り返されている。本当に、裁判官のおじさま方は事件の本質を理解しているのかしらん? と、疑念を抱かざるを得ない判決内容であると言わざるを得ない。*10
だが、しかし、ここにこそ、この事件の本質が潜んでいるのである。
先に「同じ表現の繰り返しにこそ問題の本質が潜んでいる」と指摘した。
ここで、ゲームに詳しい人間が考えれば、裁判所の認定の仕方がおかしいことは、すぐにわかるであろう。この事件の本質は、そのようなキャラクターの類似性という枝葉末節にあるのではなく、「似たような世界観、似たような世界設定、似たようなキャラ、似たようなシステム、似たようなジャンルを選択することは、まさにパクリと非難されてしかるべきではないか?」ということに尽きる。裁判所は、もっと、全体的に把握すべきではなかったのか?
しかし、これはまさに、著作権の初学者がよく陥りがちな(著作権ゴロもよく陥りがちな)「パクリ=悪」というしごく単純な公式に基づく考え方に過ぎない。
詳しくは、私の修士論文などに譲るが、「複製=悪」という、複製権中心主義を金科玉条のように信奉する必要は、どこにもない。現行著作権法の「複製=悪」という考え方は歴史的経緯から生まれたもので、必然的産物ではなく、状況が変革しつつある現在においてもなお、解釈上、その考え方を維持する必要はないということである。そこで、著作権侵害(複製権侵害)と認める範囲を狭く狭く捕らえる必要がある。*11
結果、世界観やシステム、ジャンルなどは、判決も指摘するようにアイディアに過ぎず、キャラクターの類似性などもありふれた表現であり著作権侵害と認定するには足りないのだ。
しかし同時に、違和感は残るであろう。それは、「本当に保護しなくて良いの?」という単純な法観念によって支えられる。そして、それは決してあやまった感覚ではない。
そこで、不正競争防止法が問題となるのだ。
実を言えば、この問題に限らず、著作権を巡る多くの紛争の本質は、「それが創作的表現にあたるか?」「類似点は、著作権侵害を構成するに値する創作的表現か?」ということではなく、「企業が莫大な資本を投下して製作した創作物に対してフリーライドすることを認めて良いものか?」ということに尽きる。*12
多くの企業は、「創作物の複製物が流通している→著作権侵害の問題だ」と、単純化して問題を捕らえてしまう。
しかし問題の本質はそうではなく、企業が莫大な資本を投下して制作した創作物、莫大な広告費をかけて宣伝した創作物に伴うブランドイメージ、それにフリーライド(ただ乗り)することを安易に認めて良いのか? それを安易に認めては企業が投下した資本を回収できなくなるのではないのか? 結果、企業が創作物に資本を投下するインセンティブ(動機)を失わしめないか? まさに、それである。問題の本質は、著作権法の保護範囲ではなく、原告・被告のニーズを的確に法律用語化できていなかった、当事者と法律家との間の意思疎通のつたなさにあったのだ。
不正競争防止法は、まさにそのような問題に対処すべく制定された法律であり、この事件ではまさにその点が問題となったわけだ。
そして、都合がよいことに、この事件ではティルナノーグ社長の加賀氏は、はじめイズに所属しており、退社後、ティルナノーグを起こしている。これはまさに不正競争防止法が想定している、従業員が企業情報を持ち出すことの是非という問題になる(ただし、世界観は公開されている以上、営業秘密にはならず、現行法上は保護の対象とはならない)。*13
結局、判決は、ファイアーエムブレムという商品は未だ周知性を獲得しているわけではない以上、商品等の混合を生じるわけではなく、不正競争防止法に違反していないと判断した。
周知性の要件についての認定が適切であったか否かは判断が別れるところではあるが、私は、本判決は、法制度全体に配慮したバランスの良い判断であったと評価したい。*14
問題の本質は、それが著作権が保護される著作物として認定されるかどうかではなく、長い年月をかけ、膨大な人材と金銭とを投下した結果、形成されたブランドイメージなどを、安い投下資本で複製され市場で流通させられるという、不当なただ乗りをどのように把握すべきか、というところにある。もっと言ってしまえば、企業にとっては、それが文化の育成保護に値する創作的な表現であるかどうかは問題ではなく、企業として投下した資本を正当に回収できる機会が保障されているかどうか、ということが問題となる。
とすれば、それが著作権侵害になるかどうかを問題にするよりは、企業の逸失利益の回復を目指し、不正競争的(不法行為的)な構成によって権利保護を図った方が、より問題は明確化し、より確実・適切な回収を図る機会が与えられると言えるのではないか。繰り返すが、現行著作権は、権利を拡大するには、あまりに成立要件が緩やかであるにもかかわらず、効果が絶大(事実上の流通の独占を認めている)である。であるにも関わらず、なお著作権による保護にこだわることは、さながら大砲で雀をねらい撃つようなことであり、また、原子炉で焼き鳥を焼き上げるようなことである。それは、非効率甚だしい上に、周囲に対して過剰な影響、もっと言ってしまえば、無駄に迷惑をかける結果となる。必要なものは、必要な範囲で保護すれば良い。ただ、それだけの話なのだ。*19
いやまあ、結局、この問題、一言で言い表せば、
「何でもかんでも著作権法の問題とするな!」
ってだけの話なんですけどね。
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