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レッシグ先生大暴れ(意味不明)
著作権コラム第四回
昨年の11月28日に、東大のビジネスローセンターでのローレンス・レッシグ教授の講演内容の邦訳が、NBL752号21頁に掲載されていることを、本日、職場にて、発見する。
そういえば、真紀奈たんでも紹介されていたなぁと思って、こちらでも紹介することにした。以下、“全文職場で仕事をさぼりつつ書いた”邦訳文のダイジェストをお送りする(ちなみに、これも厳密に考えると、本案権の侵害とか言われかねないわけだが。“レッシグ教授のアイディア”という事実の紹介ということで、著作権侵害は構成しないと考えることにする(などと考えると、本案権がほとんど意味をなさない条文になりかねないのだが(苦笑)))。
ただし、途中から、自分の感想が混じっていたりするので、全然ダイジェストになっていなかったりするけども。ちなみに、論考自体は7頁程度と短い内容なので、自分で確かめてもらいたい。全然、難しいこと書いていないし。
・「干渉から自由で節度ある批判」じゅーよー
憲法論を学んだことがある人間であればおなじみの議論。いわゆる、自己統治。適切な批判があって初めて、社会は健康的に、適切に発展する。自由で適切な批判がなければ、政治・社会システムは腐敗する(社会が発展するものかとかいうツッコミはなしね。これは、憲法神話みたいなものだから)。
・近年の著作権法改正は自由で適切な批判に対する脅威となる
反政府的言論の封殺とか言うと、時代錯誤のように思われるが、そうではなく、問題の核心は、私人による、私人の言論封殺。すなわち、企業による個人の言論封殺が問題となる(←ここは、火塚の付け加えだが、レッシグ教授も同旨であろう)。
著作物の「使用」には「許諾」が必要だが、これが、まさに問題になる。自分に対して批判的な言論をするのに、誰が、自分の著作物を「使用」することを認めるのか?(←ここも、火塚の付け加えだが、ゴーマニズム宣言引用事件(リンク先が偏っていることは勘弁)などを考えてみれば、十分にあり得る話だろう)
これが、かつての政府のように悪意的に行われれば、まだ批判しようもあるけども、現在は、それが無自覚的に行われているため、その問題点が認識されにくいのではなかろうか?(と、この論考を読んで火塚は思った)
・コモンズの定義
他者による利用を自己の思うがままに統制できる権利をいかなる者も持たないこと。
レッシグ教授の一連の著作のキーワードです。ここは試験に出るので(出ません)、みんな、赤ペンでチェックしておくこと。
「この『許諾』なるものがますます、弁護士がゴーサインを出した、という意味合いを帯びるようになってきたために、文化的な素材は、弁護士の息のかかった縄張りと、弁護士無用の領域とに分けられる」という物言いは、たぶん、海の向こうでは、ブラックユーモアとして笑うべきところなのだろう。
・ミッキーマウス保護法
米国の著作権法の保護期間は、はじめはわずか14年で、さらに一回だけ更新できるという内容だった。
それが、ここ40年で10回以上改正され、いまでは、個人著作物は死後70年、職務著作物は95年保護される。
保護期間の長さもさることながら、保護要件の変化も見逃せない。著作権者は、更新手続きを必要とせずに、自動的に最大限の保護期間を享受することができるようになった。かつては、85%の著作物が、更新されずに14年で著作権が消滅していた。
・「二次的作品に対する権利」の法解釈による拡張
二世紀前は、翻訳・本案・縮小版などは、保護対象ではなかった(個人的には、さすがに、それでは保護範囲が狭すぎると思うが)。
とにかく、昔と異なり、著作権侵害になるか否かの領域は曖昧になってきている。それはつまり、著作権侵害で訴えられる可能性が高くなっているということであり、可能性があるということ自体、後続の創造活動を萎縮させることになる。
・インターネット上での創造的行為は法によって阻害される
現行法上、著作物の使用すべてが著作権侵害になるわけではない。本を百回読もうが、それが著作権侵害になることはあり得ない(著作物を読む行為だって、法的には著作物使用にあたる)。あくまで、複製行為に限定されているのだ。
しかし、インターネット上では、恒常的に複製が発生するため、そこでの行為はすべて著作権侵害になる危険性がつきまとう。結果、「相対的に限定的であった著作権法の規制対象は、はるかに無制約に拡張する」(火塚の個人的意見として、日本著作権法の送信可能化権等は、(旧文部省は、世界に先駆けて著作権保護をした偉大な立法だと言うけども、)十分な検討をせずに慌てて立法した悪法だと思う)。
・著作権者の集中化
コピーコントロール技術の発達に伴い、情報が独占されつつある。たとえば、わずか5社で、全世界の音楽流通の80%を独占している。
・「干渉から自由で節度ある批判」の弱体化
「節度のある批判」の弱体化は問題だ(火塚的に特に目新しかった指摘)。
この状態で批判活動をするには、通常の発表ルートを回避するような者だけである(表現テロリストという状態は明らかに不健全だ、ということであろう)。彼らは節度あるルートの埒外にあり、「通常の社会的かつ知的な節度を持つ批判にさらされていない」。
・ファンサイトを立ち上げた個人
そこに掲げたコンテンツが承諾済みのものでない限り、著作権者や商標権者によって発見され摘発を受けてしまう(いや、マジで)。
・政治的論評に対する制限も
英国の製薬会社の動物実験の方法を批判していたウェブサイトは、著作権の対象となる作品がそのサイトで使われていることをその製薬会社が指摘したために、閉鎖された。複数のチェーンストアの価格情報を掲げているサイトも、著作権を根拠とする法的根拠をちらつかされ、脅かされている。
・ところで…、
山形浩生氏のメモによると、同人誌・コミケの話も紹介されていたらしいけども、なぜ紹介されていない?(悪意ある微笑み)
・翻訳者の白石忠志先生って実は…
火塚が一方的に知り合いだったりする。いや、会ったことはないけども。
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